皆様こんにちはSBDコラムニストの佐名木宗貴です。
今月もご覧頂き有難う御座います。
あんなに暑かったのが嘘のように最近涼しくなってきましたが、皆様どんな秋を過ごされているでしょうか?
このコラムを書き始めてもう6年目に突入していますのでこんな書き出しも初めてではないと思いますが、私は四季の中で秋が一番好きな季節でして、この過ごし易く心地よい気候を楽しみながら12月19日~20日にジャパンクラシックマスターズパワーリフティング選手権大会が無事に開催される事を信じて段階的にトレーニング強度を上げて行っているところです。
いろんな方から「今年は夏が猛暑だったから大きな台風が幾つも直撃するぞ!庭のジム吹き飛ばされるんちゃうか?」と脅されていたのですが、今のところ大阪を直撃する台風は来ていませんので庭ジムでも無事にトレーニングが出来ています。
今年は本当に変則で色々と大変でしたが、ようやく大学の授業も対面で行われるようになり様々なスポーツで試合も行われるようになってきました。
勿論試合数が少なくなったり長距離移動や宿泊を伴う全国大会などが無くなったり、無観客だったりと、いつもとは違う形式ではありますが、それでも徐々に元の日常が戻りつつある事を日々感じています。
そんな中、私が監督を務める関西大学学生S&Cですがようやく2名の新入生を迎える事が出来ました。
昨年度主力として活躍してくれた3名(藤井・若林・古橋)が抜け、今年に入ってから2名が退部、新入部員を増やそうにもなかなかコロナの影響で募集活動が出来ず(というかWEB授業なので新入生が大学に来ない)今年部員を増やす事は難しいかと思われましたが、何とかSNS等を使って活動内容などをアピールし2名が見学・体験を経て入部してくれました。
現在4回生1名、3回生3名、2回生3名、1回生2名、合計9名(男子8名・女子1名)で活動しています。
残念ながら今年はパワーやボディビルの学連大会は開催されないようですが、そのぶん各クラブのサポートに力を入れています。
もしも皆さんの周りにいる関大生で「ウエイトトレーニングが好き」「身体を鍛えるのが好き」「大好きなトレーニングでスポーツ選手のサポート活動がしたい」「栄養管理などスポーツ選手の体調管理に興味がある」などなど、どんな動機でも良いので私たちの活動に興味がある方がいらっしゃれば「凱風館1Fのパワージムに行けば面白い事をしてる集団がいるらしいよ」と教えてあげて下さい。毎週木曜日の「実技研究会」と「勉強会」(だいたいいつも18時~と20時~)はどなたでも参加する事が出来ます。
よろしくお願いいたします。
スポーツ競技におけるドーピングとスポーツ以外での薬物を使った肉体改造の違い
それでは今月の本題に入ります。
今月は今年の2月末にアップしたコラム
『アンチ・ドーピングとスポーツの価値(社会性と教育的な観点から)』
最後のほうに書いた「ルールの無い世界で行われる肉体改造行為はスポーツではない」という文面についての追記を書こうと思います。
これは編集の段階で、もう少し分かりやすく書いた方が良いのではないかとも思った表現なのですが、全て事細かく説明するよりも読み手の皆さまにも想像し、考えて欲しいとの思いからこのように書いたものです。
ルールの無い世界
この「ルールの無い世界」とはどういう意図で書いたのかというと「スポーツ界のルールが当てはまらない世界」、もっと詳しく言うと「スポーツ界のルールであるアンチ・ドーピングを採用していない世界」という事です。
先のコラムでも書きましたが「アンチ・ドーピング」とはスポーツの世界で定められた世界共通のルールです。
世界アンチ・ドーピング機構(以後WADA)や日本アンチ・ドーピング機構(以後JADA)に加盟している数多くの競技団体で通用するルールです。
この「アンチ・ドーピングというルールが無い世界、範疇の外で行われる薬物を使用した肉体改造行為をスポーツとは呼ばない」或いは「スポーツとは別の目的や理念に基づいて行われているものと考えている」というのが私の考えです。
しかしながら「スポーツ」という言葉の定義も様々でどこからどこまでがスポーツなのかは意見が分かれるところではあります。
辞書に書いてあるまま引用すれば「遊戯・競争・肉体的鍛練の要素を含む身体運動の総称」「余暇活動・競技・体力づくりとして行う身体運動」などがスポーツの範囲とされていますが、最近ではeスポーツなどと言うような使われ方もしていますので定義というようなものは時代と共に変化するものかも知れません。
肉体的鍛錬の要素を含む身体運動がスポーツなのであれば、どんな形であれ身体を鍛える事はスポーツの一部だと考えるべきでしょう。
であれば薬物を使おうが何をしようが身体を鍛えているならスポーツとして認めるべきなのでしょうか?
私の考えはNOです。
なぜならば「スポーツ」という言葉を適用する事で薬物を使用して身体を鍛えている人々と我々アンチ・ドーピングの精神に則って競技を行っている人々が同じ「スポーツ」という枠の中で扱われてしまうからです。
中には「やっている事はスポーツに近いけれど、考え方に基づくモラルや精神面はスポーツの理念とは遠くかけ離れている」という場合もあるでしょうし「やっている事はスポーツからは遠いけど考え方に基づくモラルや精神面はスポーツの理念に合致している」という場合もあるでしょう。
エンターテイメントの世界
世の中にはスポーツ選手という枠内で活動しているわけではないのにスポーツ選手のようにトレーニングをして肉体を増強しようとする人は沢山います。
分かりやすい例を2つ挙げると、1つはエンターテイメントの世界の人達、もう1つは趣味の人達です。
エンターテイメントの例を分かりやすく挙げるのならばメチャクチャマッチョの役柄に挑戦する映画俳優が監督に「4ヶ月後の撮影までに体脂肪率をあと10%落として筋肉量は10kg増やしてきてくれ」と言われたとします。
勿論普通にやっては無理な要求なのですが適切なウエイトトレーニングと食事管理によるダイエット、そしてアナボリックステロイドなどスポーツ界のルールであるアンチ・ドーピング規定では禁止されている薬物や手法を駆使すれば監督の要望に応えられるかも知れません。
そして無事に監督が求めるマッチョになり映画に出演したところでドーピングチェックを受ける事も無ければ使用を咎められることも無いでしょう。
更には肉体的パフォーマンスを要するショービジネスも分かりやすいでしょう。
彼らは超人的な肉体や身体能力を使って普通の人には出来ないパフォーマンスを発揮し、人を喜ばせ元気にして夢を与えるのが仕事です。
しかしショービジネスの世界でチャンピオンになったからといって抜き打ちのドーピングチェックなどないでしょうし、誰にもまねできない命知らずな技に成功したとしても薬物の使用を疑われたりしません。
そしてファンも観客もそんな事は望んでいません。
あくまでもエンターテイメントであり、みんなを楽しませるために身体を張ったショーです。
ドラッグチェックを行わない事が暗黙の了解とされているボディメイク競技団体などもこちらに入ると私は思います。
薬物ユーザーが命を削って巨大化させた筋肉を披露するビックリ人間ショーのようなものなのでスポーツと呼ぶのは違うと思っています。
趣味の人達
次に趣味の人達ですが、これは2パターンあってパターン1は完全に自己完結している人達で、パターン2はその趣味を出来るだけたくさんの人に見て欲しい人達です。
パターン1の人達の多くは盆栽や絵画を趣味にしている方に似ていて、ただひたすらに自己の肉体の向上に興味があるだけで、あまり他人と比較しようとか他人を羨むなどという事は無く、ある種達観した僧侶のように自分と向き合う人が多いように思います。
そのため大会に出たりする事も無ければ、ジムや街中で必要以上に己の肉体を誇示する事もありません。
そして驚くかも知れませんが他人から「薬物を使用しているのか?」と問われると正直に「やってますよ」と申し訳無さそうに明かしてくれる人もいます。そして必ずと言って良いほど「僕個人の趣味だから絶対真似しちゃ駄目だよ」と言ってくれます。
その逆でパターン2の人は薬物を使用して他人より早く優位に発達させた肉体を多くの人に見て欲しいので積極的に大会に参加し街中やジムでも薄着で肉体を誇示し人が集まるところに行き注目される事を好みます。
ところが残念ながらドーピングチェックが無い団体の大会であっても「薬物を使用して肉体を向上させて出場して良いですよ」とはどこも謳っていないので「薬物を使用していますか?」と他人に聞かれると多くの人が嘘をついてしまう事になります。
そしてWADA・JADAに加盟しているスポーツ団体の大会に薬物を使用しているにもかかわらず出場してしまうとこれは明確なルール違反という事になります。
最後のアンチ・ドーピングの大会に薬物を使用している事を隠して出場するという最低最悪な人は別として。
その前に書いたようなアンチ・ドーピングのルールに捕らわれない世界の人達が、凄い身体をしていたり凄い身体能力を発揮したりしていてもWADAもJADAもチェックには来ませんしペナルティを科す事もありません。
それは管轄外の人達だからです。
そして彼らを支持する人々も彼らにドーピングチェックなど受けて欲しいとは思いませんし、薬物を使用してもっと大きくなって凄いものを見せて欲しいと願います。
そのような人達が集う大会を観に行く観客は健康的な範囲で獲得できる肉体を見たいのではなく人間が薬物を含むあらゆる手段を用いて命を賭して得られる限界を観たいのだと思いますし選手もそれを望んでいる人達なのでしょう。
この精神性や価値観の違いこそがスポーツの枠の中に入れるべきではない一番の要因ではないでしょうか。
ルールのある世界
ではこの「アンチ・ドーピング」というルールが適応される範囲はどこからどこまでなのでしょうか?
日本アンチ・ドーピング機構(JADA)に加盟している競技団体についてはJADAのホームページに2020年8月現在の一覧がありました。
『JADA加盟団体一覧』
野球やサッカーのような比較的メジャーな競技からそうではないマイナーな競技まで多くの競技団体が加盟しているのが分かると思います。
また同じスポーツであっても複数の異なる競技団体が別々に加盟している事にお気付きになったと思います。
例えば「空手」という競技名の付く団体は5団体も加盟しています。
このうちオリンピックで採用されている競技「KARATE」(WKF:国際空手連盟)に選手を派遣しているのがJOC加盟団体である(公財)全日本空手道連盟という団体です。
他の4団体は言い換えると非オリンピック競技(団体)という事になりますがJADAに加盟しているアンチ・ドーピングのルールを順守する団体という事です。
因みにJOCの加盟団体もホームページでご確認いただけます。
『JOC加盟団体一覧』
JOCの加盟団体(競技)は令和2年4月28日現在で正加盟55、準加盟5、承認団体7、合わせて67団体(競技)です。
それに対してJADA加盟団体は令和2年8月現在で94団体です。
つまりアンチ・ドーピングは必ずしもJOC加盟団体、オリンピックに繋がる競技団体だけのものではないという事です。
非オリンピック競技やオリンピック競技と同じ競技だけどオリンピックには繋がっていない団体でもスポーツ界の一員としてアンチ・ドーピングのルールを採用している団体は沢山あるのです。
そしてこれらの競技団体が行う大会とそれに参加する選手が「アンチ・ドーピング」というルールのある世界の人達だと私は考えます。
もちろん現在JADAやWADAに加盟出来ていない競技団体であっても将来加盟したいと望むのであれば上記の団体と同様にアンチ・ドーピングのルールを順守する必要があるでしょう。
しかしながら現時点ではWADAが定める公的な国際ルールとしてのアンチ・ドーピングの枠内にいるわけではありません。
また一部の総合格闘技団体などはWADAやJADAに加盟せず独自に検査機関と連携し、ドーピングチェックをおこない陽性反応が出た場合は選手にペナルティを科す取り組みをしている団体もあると聞いていますので、完全にWADAのルールに則っているかどうかは分かりませんが、独自にアンチ・ドーピング活動を行う団体も完全ではないものの「ルールのある世界」と言えると思います。
法で規制すべきか?
何度も書きますがアンチ・ドーピングはスポーツ界共通のルールです。
しかし医療目的で使用されるべき薬を医師の処方無しで他の目的のために使用する事はスポーツ界共通のルールどころか国家が定める法律に違反するのではないか?とも思われがちですが、これは国によって違っていて残念ながら日本では法律で罰せられることは無いようです。
日本よりももっとドラッグによる問題が深刻な社会問題となっているアメリカでは法律で規制されています。
アンチ・ドーピングに賛同する多くのスポーツ関係者からすれば日本も、或いは世界中の国々の法律で厳しく規制してくれればいいのにと願うかも知れませんが、実際には法で規制されているアメリカでドーピングや薬物を使用した肉体改造行為が減っているのかと言えばそうではないように私は思います。
他の違法薬物と同じで法で規制してしまうとマーケットが地下に潜り摘発を難しくしてしまうという問題も起きてしまいます。
そのためドーピングや薬物を使用した肉体改造行為の無い世界を実現するには法律で規制するというのも1つのアイデアではありますが、結局は世の中全体の価値観・倫理観が変わらなければ実現する事は難しいと思います。
「勝てばいいんだ」
「結果さえ得られれば手段は何でも良い」
「自分の身体をどう使おうが個人の自由だろ」
このような考え方ではなく
「ルールを守る事には勝つ以上の意味がある」
「結果よりも過程で人は成長する」
「自分のやっている事は必ず誰かに影響を与えている」
このように考えられるからスポーツの価値が守られ、スポーツには人を成長させる無限の可能性が生まれるのです。
年代やレベルに関係なくスポーツの現場では“公平であるからこそ得られるスポーツの価値”について関わる人全員で考える必要があるのです。
競技スポーツの方が狭義スポーツか?
スポーツを行っている人は愛好家レベルから競技者レベルまで様々でそれこそ世界中の数えきれないほどの人が何らかの形でスポーツと関わっている事でしょう。
その中でWADAのルールを絶対に守らなければならない競技者、つまりドーピングチェックをうける可能性があるトップレベルの競技者の方が極々少数派でそれ以外のレベルや目的でスポーツを行っている人の方が大多数である事は間違いありません。
では、アンチ・ドーピングはドーピングチェックが行われる競技会に参加するレベルの競技者だけのものなのでしょうか?
それは違います。
むしろ一般のスポーツ愛好家の方々にこそアンチ・ドーピングについて関心を持っていただく必要があります。
なぜならばトップレベルのアスリートではない一番人数の多い「普通の愛好家」の方々こそがスポーツの文化を支え創造していく重要な方々だからです。
スポーツを愛する1人1人が地域やコミュニティの中で影響力を持つ事でスポーツの基盤となる価値を根付かせる事に繋がるからです。
アンチ・ドーピングに賛同する人、ひとりひとりがクリーンなスポーツを守る伝道者となる事が出来ます。
公平性を守り、弱い心に打ち勝つ真のチャンピオンが生まれる環境を、スポーツを愛する全員で作り上げましょう。
ルールのある世界の住人とルールの無い世界の住人が混在するフィットネス業界
最後に少しだけ私が今まで行ってきた競技ボディビルディング(JBBF)やパワーリフティング(JPA)の世界が抱える問題について書かせてください。
両競技は他の競技と異なり練習環境が一般のフィットネスクラブやジムまたは公共施設である場合が多く、専門的なボディビルジムやパワーリフティングジムに通う人も生活環境に合わせて一般のフィットネスクラブなどと併用しながら競技を続けている人も多いと思います。
またバーベル、ダンベル、各種トレーニングマシンを扱うプロであるという競技特性を活かしフィットネスクラブで働くなどフィットネス産業を生業としている競技者も多く存在します。
つまり練習環境や日常の仕事の中で「ルールの無い世界の住人」ともかかわる可能性が高いと言えます。
通常のアンチ・ドーピングを順守する競技団体であれば選手をドーピングから守るために過去にドーピング違反を犯して競技団体から除名されたり脱退したり、明かに禁止薬物を使用してトレーニングをしている人物には団体に所属する選手が近づく事の無いように競技の現場から締め出し、選手や関係者にも教育をしてそのような人物から遠ざける努力をしていると思います。
実際にWADAが定めるアンチ・ドーピング規則違反の中には「アンチ・ドーピング規則違反に関与していた人とスポーツの現場で関係を持つこと」も含まれています。
しかしこの文面の通り、そもそもアンチ・ドーピングの規則の無い世界の住人には通用しない話ですし、先に記した通りフィットネス産業に従事し練習環境もフィットネスクラブなどを使用する競技ボディビルやパワーリフティングは禁止薬物使用者、或いは禁止薬物を使用する事に寛容な考え方の人達から選手を守る事が難しい競技と言えます。
また「ルールのある世界の住人」にとっては「ルールの無い世界の住人」と同じ見方をされるのはやはり気分の良いものではありません。
なぜならば、薬物を使用するというアドバンテージから、悪気はなくとも「ルールの無い世界の住人」の方がサイズでも筋力でも圧倒的に勝ってしまう事が多いからです。
もちろんそれを知っている人は「君はナチュラルなんだから比べるべきじゃないよ」と分かってくれるかも知れません。
「自分の方が正しい事をしている」とプライドを持っているから負けずにルールを守り頑張り続けるでしょう。
しかしそれでも気分の良いものではありません。
「アンチ・ドーピングのルールのある世界」と「ルールの無い世界」を全くの別物であると区別しなければルールがある事が足枷のように選手を苦しめてしまいます。
フィットネス業界の中で戦う「ルールのある世界の住人」のためにも1人でも多くの人にアンチ・ドーピングのルールを守ってスポーツを行う事の素晴らしさを知っていただき「ルールがある事の価値」を共有して欲しいと願います。
まとめ
「スポーツ」という言葉の定義や使用される範囲については前記しましたが「ドーピング」という言葉もかなり広く使われる事で、どこからどこまでがドーピングなのか?が一般的には分かりづらくなっているように思います。
ドーピングという言葉の語源は諸説あると言われていますが、アフリカ南部の原住民が祭礼の際に強い酒を飲む「DOP」という言葉ではないかという説やオランダ語の「DOOP」というクラッカーやトルティアなどにディップする濃いソースを意味する単語が「いろんなものを調合する」という意味に発展したという説などが知られています。
WADA・JADAに加盟している競技団体はアンチ・ドーピングというルールを守り活動しているので「ドーピング」「ドーピング検査」「ドーピング違反」などの言葉を使用するのが当然だと思いますが、先に記した様にそもそもアンチ・ドーピングのルールを採用していない競技団体やスポーツ競技者ではない人達が薬物を使用して身体を大きくしたり、身体機能を向上させる行為に対して、同じく「ドーピング」という単語を使用してしまうと、WADAのルールに則ってスポーツをしている人と、スポーツ目的では無い薬物使用者も結果的に同じ意味だととらえられるのではないかと思います。
「肉体を増強する為に薬物を使用する」というのは同じ事ですが、「薬物を使用してはいけません」というルールを破る行為とルールが無い中でただ単に薬物を使用するのは全く別です。
JADAのホームページにも書いてありますがドーピングとは「スポーツにおいて禁止されている物質や方法によって競技能力を高め、意図的に自分だけが優位に立ち、勝利を得ようとする行為」とされています。
またスポーツ庁のホームページに載っているドーピング防止活動の取り組みから引用するとドーピングは「スポーツのフェアプレイ精神に反し、競技者の健康を損ね、薬物の習慣性から社会的な害を及ぼすばかりか、人々に夢や感動を与えるスポーツそのものの意義を失わせ,国民の健康的な生活や未来を担う青少年に対して悪影響を及ぼすものです。」とされています。
お気付きの通り「スポーツにおいて」「スポーツの」「スポーツそのものの」と書かれています。
あくまでスポーツを対象とする言葉で、スポーツではないものは対象としていないように思います。
そして逆から考えれば、薬物を使用する事が規制されていない肉体鍛錬はスポーツではないとも考えられます。
これらの考えから私は「スポーツ」と「アンチ・ドーピングというルールの無い世界」を区別し「ドーピング」と「薬物を使用した肉体改造行為」を区別しています。
最後になりますが、ドーピングは絶対に許されないスポーツへの背徳行為です。
また、薬物を使用した肉体改造行為も私はするべきではないと思いますしどれだけ自己責任だと言っても必ず誰かに迷惑がかかる行為だと思っています。
人間は絶対に一人では生きられないからです。
そして一人で生きているわけでは無いから、他者を思いやる心を持ち社会でもスポーツでもルールを守るのだと思います。
アンチ・ドーピングのルールのある競技会で勝つ事、そして堂々とドーピングチェックをうけてクリーンである事が証明される事、これが一番カッコいいのだと皆が思える社会になるように私は活動していきます。
文:佐名木宗貴