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移行期という考え方 ~ナチュラル=ライフタイムナチュラルが完成するまで~

皆さんこんにちは。SBDコラムニストの佐名木宗貴です。
前回のコラムから半年以上が経過してしまい、大変お久しぶりとなってしまいました。
おそらく皆さんがこのコラムを読む頃にはゴールデンウィークも終わり、2024年度のボディビル・フィットネス系の大会が開催され始めた頃でしょうし、パワーリフティングでいうと県大会が終わり、ブロック大会が開催されている頃かと思います。

私はというと、この1年の間に忙しさを言い訳にトレーニングや自己管理を怠った結果、体重が95㎏を超えてしまい、久々にインボディで体組成を調べてみると1年でちょうど10㎏も体重が増えている割に筋肉量が2.2㎏減っているというS&Cコーチとしてあるまじき不細工な状態に陥ってしまい、もうボディビル・フィットネス系の選手には何も言う資格がないなと思っていたところに、JBBF大阪の栄養講習会やポージングセミナーを頼まれるようになり「こんなポッコリ中年オヤジがどの面下げて選手の皆さんと話せばよいのやら」と気まずい気持ちもありましたが、どんな形であれ自分が関わった競技に少しでも恩返しが出来ることは光栄ですので、怠け切った自分への戒めとして精一杯お勤めさせていただきました。

また今年はJBBFのアンチ・ドーピング講習会と基本ルール講習会もお手伝いさせていただくことになり、大阪と兵庫の講習会を担当させていただきました。
アンチ・ドーピングの方はそれなりに勉強もしてきたので、ある程度はお役に立てるかとも思いましたが、基本ルールの方は完全に一から学びなおしです。
特にオープン大会やフィットネスカテゴリーについては私が現役時代には無かったシステムやカテゴリーですので、先輩の委員の方に質問しながらなんとか覚えて臨みました。

【JBBFとは…スポーツ競技団体とは】

JBBFはスポーツ競技団体であり、ボディビル・フィットネス競技団体としては国内では唯一JOC・JSPO・JADAなどといった、公的機関に加盟している中央競技団体といえます。
ということは他のスポーツ競技団体、例えば日本陸上競技連盟、日本水泳連盟、日本サッカー連盟といったオリンピックに参加するようなメジャー競技団体と同様に、団体として或いは所属する関係者やアスリート自身が、社会的な役割を果たすための行動規範やモラルが求められます。

特にフェアプレイの精神については、スポーツマンシップをスポーツの価値として伝えるための責務と行動が求められています。
そのため、公正なプレーを尊重し相手に対する尊敬や賞賛、相手への敬意や思いやりを持った行いや振る舞いをし、ボディビル&フィットネス競技・競技者同士・審査員・指導者・応援してくれる家族や知人・大会関係者・施設・競技規則・歴史を大切に思う気持ちを持つことが重要であるとされています。

JBBFはいわゆるNF(National Federation)と呼ばれる国内競技団体で、当然上位団体である国際競技団体・IF(International Federation)が存在します。
この国際競技団体がIFBBという団体です。
こちらの団体が数年前に分裂した関係で、アンチ・ドーピングの問題はそれまでグレーゾーンだった部分をしっかり黒と白に分けて考えることが求められるようになり、今はその転換期、あるいは移行期とも言えますので「黒、黒の中のグレー、白の中のグレー、白」などがそれぞれ混在し色々とややこしくなっているわけです。

さて、そんな危なっかしい話はさておいて。。。
JBBFの話に戻します。
JBBFと上位団体である今のIFBBが目指すボディビル・フィットネスは、競技スポーツです。
というわけで競技スポーツである以上、ルールは統一せねばなりません。
あるいは何らかの事情で正規のルールで実施することが出来ない場合でも規定に則った方法で改定し、周知され公平な競技環境が保たれるように努めなければなりません。

国際的な競技連盟を上位団体にもつ競技団体は、どこでも同じだと思いますが、ルールは各国のNFが独自で作るのではなく、上位団体である国際団体に準拠して行われるというのが原則であると思います。
JBBFはIFBBという国際競技連盟の傘下にあるわけですから当然IFBBでルール変更やカテゴリーの新設があったりした場合はそれに従い、国内競技者に対して通達し詳細をHPや講習会を通じて伝達するわけです。

【基本ルールの中のアンチ・ドーピング】

今回はアンチ・ドーピングの講習会と基本ルールの講習会をセットで行ったわけですが、アンチ・ドーピングもWADAコードに則り世界中のスポーツ競技団体と選手、関係者が共通で守るべきルールであると考えれば、この2つの講習会は分けて考えるものではなく一つのルール講習会として捉えるべきなのではないかと思います。
アンチ・ドーピング講習会は基本ルールの一部であり
「まずここに賛同してくれないのならこの先の話を聞いても仕方がないですよ!だってJBBFがやっているのは競技スポーツなんですから」
というような前提条件とも言える前置きのようなものかも知れません。

また、基本ルール講習会にはボディビル・フィットネス競技の細かいルール以外にも、先に記したようなJBBFという組織についての説明や競技団体として目指す方向性なども細かく紹介されテキストにもしっかり書かれています。
それはパンツの横幅が5㎝だとかビキニのスーツが臀部の何%を覆うとかいう細かいルールではなく、そのもっと手前の
「スポーツマンシップ」「フェアプレー精神」
という言葉に集約された
「ルールを守って正々堂々と戦いましょうね」
「そうじゃなきゃスポーツって成り立ちませんよね」
という、ルールというよりも約束のようなレベルのものかと思います。

【ルールよりも前にある前提】

「そんなこと言わんでもわかっとるわい」
「なんでワシらがワザワザそんな当たり前の話を聞かなあかんのじゃい」
と多くの方は思うかも知れません。
しかしこの大前提が無ければそもそも競技スポーツのルール、特にレクリエーションレベルではなくチャンピオンを決める競技会は成り立ちません。

高校野球でも何でも選手権大会の開会式では選手宣誓があると思います。
そこで選手の代表者は何を宣言するでしょうか?
それは
「スポーツマンシップに則り」
「正々堂々」
これに対して言明し誓っていると思います。

ルールを遵守し、スポーツを楽しみ、公正なプレーを尊重し、相手に対する尊敬や賞賛の心を持つことで、勝っても負けても正しい態度で立派であること。
それを誓っているのでしょう。
これがあって初めてルールの話になるのであって、これが無ければルールの話をしても意味がないのです。

【競技特性とフェアプレーの意味】

ボディビル・フィットネス競技は当日に順位が決まるというよりは、それまでの準備が勝敗を大きく左右する競技であると言えます。
であれば、コンテストの当日に選手宣誓をしているのは
「この後のパンプアップとポージングをスポーツマンシップに則り正々堂々とやります」
と宣誓して欲しいのではなく
「ここまでの1年間、いや競技を開始してから今日までの間、スポーツマンシップに則り正々堂々とやってきました」
と本当は宣言して欲しいわけです。
それ即ち「アンチ・ドーピングのルールを守ってますよ」ということであり、それを証明する唯一の手段が検査に選ばれる事だったりするわけです。

「なんで俺が検査対象なんや!」と思うかも知れませんが、逆に考えれば
「フェアプレー精神に則ってここまで頑張ってきたことが証明できる!ありがとう!!」
と考えるべきでしょう。
しかし、ここで勘違いしてはいけないのが、競技会検査であろうが抜き打ち検査であろうが、尿検体であろうが血液検体であろうが、検査で証明されるのは
「その採取された検体がクリーンであるかどうか?」
であり、それ以上でもそれ以下でもないということです。

何の話かというと
「検査で陰性が証明される」ということと
「その人が生涯クリーンである」ということは
別の話だということです。
しかし、ボディビル・フィットネス競技の競技特性から、一度でも筋肉増強を目的とした薬物を使ったならば、その競技力向上効果がずっとアドバンテージとして残ってしまう可能性があります。
つまりこの競技で求められている
「ナチュラル」という状態は
「この日のこの時間に身体から出たものがクリーンだったので、きっと検出が可能な範囲内ではナチュラルです」ということではなく
「ライフタイムナチュラル」(生涯に一度も薬を使用していない)
を指しているわけです。

尿検体や血液検体でどこまで時間を遡って禁止薬物が体内に入っていた痕跡を追跡できるのかは分かりません。
もちろん検査技術は日々向上し精度を高めていますので、もの凄~く前に使用した禁止薬物も検出可能なのかもしれません。

よく例え話で
「プールに1滴垂らした薬物も検出できる」
と言われていますが、源泉かけ流しの温泉のように常に水を入れて溢れた分を排水していたら。。。それでも検出できるのか?については分かりません。
もしかしたら出来るかも知れないしウォッシュアウト期間のように、時間がたてばいつかは身体から薬が抜けて検出されなくなるのかも知れません。

そんなわけで検査の精度はどれだけの時間を遡って薬物を調べられるのかは分かりませんし、分かってしまうと薬物をやっている人にとって有益な情報になってしまうわけで、明確には分からない方がスポーツ界全体のためでしょう。
本当は3年だったとしても50年ぐらい残りますよと言っといてくれた方が抑止力は高まるかも知れません。
ボディビル・フィットネス競技の選手にとっては3年や5年はバルクアップのためのオフみたいなもんですから、選手登録せずに隠れて薬を抜いて出てきても残念ながらアドバンテージは残せる範囲でしょう。
それまでどのぐらいの量をどのぐらいの期間、入れていたかによるでしょうが。

話を戻しますが、尿であろうが血液であろうが皮脂であろうが毛髪であろうが…なんであろうが身体から検体を採取して成分を分析する検査というのは、採取した検体がクリーンかどうかを調べているだけです。
過去に10回陰性だったから生涯クリーンであったことが証明されたり、100回陰性だったから証明されるわけではありません。

RTPあるいはTPというJADAまたは国際競技連盟によって居場所情報の登録が求められるアスリート、要するに抜き打ち検査の対象者もいますが、10年間抜き打ち検査の対象であって10年間で合計20回の検査を受けて全ての検査で陰性であったとしても、証明されるのは10年間抜き打ちで、その時々の世界最高峰と思われる検査精度で、世界で最も公正であると信頼される機関で20回、身体から出たものを調べて20回ともクリーンであった、という事のみです。
ただ当たり前ですが、検査を受けていない人よりは
「ライフタイムナチュラルであろう」
確率がうんと高まり信頼されるようになるだけです。

【検査の歴史と時代背景】

日本アンチ・ドーピング機構(JADA)のHPによると、1966年にはサッカー、自転車競技の各世界選手権でドーピング検査が導入され、オリンピックでは1968年グルノーブル(冬季)、メキシコ(夏季)からドーピング検査が開始されています。
また、JBBFのアンチ・ドーピング講習会のテキストによると、JBBFは1986年10月に開催されたMr. Universe東京大会で初めてドーピングテストを行ったとされています。

当時はドーピングに対する関心も危機感も非常に薄いなか、他の競技団体に先駆け実施し、参加選手の10%にあたる30名の選手にテストを実施し12名が陽性であったそうです。
30名を検査して12名陽性ですから40%です。
対象者を全参加者の中からランダムに選出したのか?上位入賞者から怪しい選手を選出したのか?わかりませんが、ランダムだとすれば参加選手の10%が30名なので総参加選手数は約300名、ということはドラッグを使ってこの世界大会に出て来ていたであろう選手が約120名いても不思議ではないということです。

※資料から確認できた数字を頼りに書いていますので、当時の検査技術や何が検出されたのかを確認したわけではありません。
全てがアナボリックステロイドなどの筋肥大を狙ったであろう物質であったかどうかは確認できていませんので、もしかしたら今でいう「うっかり系」の物質も入っていたかも知れません。
ただし今とは選手が備える知識量やゲットできる情報量も異なると思いますので「うっかり」のレベルも今とは異なると考えます。

 同時期に行われたオリンピックと比較すると1984年のロサンゼルスオリンピックの検査数は1507件で陽性数は12件、同年の冬季サラエボオリンピックは検査数424件で陽性は1件、1988年のソウルオリンピックでは検査数1598件で陽性は10件、同年の冬季カルガリーオリンピックは検査数492件で陽性は1件です。
如何にボディビル選手の陽性率が高かったかというのがイメージできるかと思います。

また、この1986年はこの世界大会の予選にあたる選抜大会、第3回ジャパン・ボディビルディング・チャンピオンシップスでもJBBFは検査を実施したと言われていまして、5名の失格者が出ています。
記録によると出場者は男女合わせて45名ですから5人の陽性で11.11%です。
しかし各クラスの上位3名を検査したそうなので、当時の階級分けを見てみるとバンタム級・ライト級・ミドル級・ライトヘビー級の男子4階級に女子の部を足した5階級の上位3名を検査したとすると、15名中の5名ですから33.33%の陽性率という事になり確率でいえば表彰台の誰か一人は陽性者という比率になります。
当然初めての検査だったので検査体制が未成熟であったり、情報の管理が不十分であった可能性はありますが、結果と数字から38年後を生きる私が判断できるのは、これが国内・国外を問わず当時のボディビル界の状況だったのではないかということです。

※あくまで結果と数字から推察する当時のトップレベルの状況という意味です。
大多数の人がナチュラルで頑張っていたという事は今と同じかと思います。

サッカーと自転車競技の世界選手権でドーピング検査が導入されてからJBBFが世界大会で検査を導入するまで20年の隔たりがあります。
オリンピックで検査が導入されてからだと18年です。
なぜ20~18年もかかっているのかを考えるために、この1966年から1986年までの時代背景を考えてみました。
※IFBBとは別にヨーロッパを中心に世界大会を開催するNABAという団体にも当時はJBBFは代表選手を派遣していたのですが、話が混同してややこしくなるので、ここでは割愛しIFBBに絞った話をします。

まず、ラリースコットがミスターオリンピアで優勝しているのが1965年と1966年で、1967年~1969年はセルジオオリバが3連覇している時代です。
1970年~1975年はアーノルドシュワルツェネッガーが6連覇し、1977年にはボディビルドキュメンタリー映画パンピング・アイアンが制作され、ボディビルブームが高まっていきます。
1970年の時点でIFBBはアフリカ、アジア、ヨーロッパ、オーストラリア、北米、南米と加盟国を有し50カ国以上から理事を出す世界的な連盟となり、1971年には国際競技連盟連合に加盟しボディビル競技団体として国際的に認められることとなります。
1976年はフランココロンブが初優勝、1977年~1979年はフランクゼーンが3連覇を果たし、1980年にはアーノルドシュワルツェネッガーが復活し通算7度目の優勝を果たします。
しかし、この勝利については、コンディションが良くなかったことから映画の宣伝のために優勝させたのでは?と物議を醸します。
このへんからも国際的な競技団体となったもののコンテストの位置付けが、競技スポーツというよりはエンターテイメントショーとしての要素が強かったのではないかと推察できます。

1980年はミズオリンピアが開催された年でもありレイチェルマクリッシュが初代女王に輝いています。
その後、1981年はフランココロンブの2回目の優勝、1982年はクリスディッカーソンが当時最高齢となる43歳で優勝、この年にJBBFはIFBBに加盟しています。
1983年はサミアバヌーがモハメドマッカウィを抑えて優勝、そして1984年は8連覇を果たすことになるリーヘイニーの初優勝の年で、女子では6連覇するコリーエバーソンの初優勝の年です。
つまりJBBFが初めてドーピング検査を行った1986年はリーヘイニーとコリーエバーソンが3連覇目を果たした年ということになります。

さて一方でスポーツを取り巻く社会事情はというと、東西冷戦が1945年から1989年ですから、オリンピックでも国家主義的なプライドと国際的な評価をかけて国家政策としての選手の競技力強化にドーピングが利用され、またスポーツ自体が大きな収益を生む興業となり、競技スポーツが選手や関係者、またはそれを抱える企業や地域、国家にとっても商業的な意味合いを持つようになり、それぞれが富を得るために効果的な反則行為、つまりドーピング行為が過熱していった時代ではないかと考えられます。

これは当然私個人の推察ですが、薬物を使用して筋肉増強を図る行為が、スポーツの世界でドーピングと呼ばれ競技の公平性を欠き、選手の健康を脅かし、そのスポーツの価値を下げてしまう行為だと。。。世の中が気付き排斥しようという流れはあったものの、ボディビル界は
「みんなシュワちゃんみたいにカッコ良くなって成功してぇよな!」
「俺たちとオリンピックに参加してる競技スポーツとは同じじゃねぇよな?」
「筋肉デカくしてヒーロー漫画みたいにカッコ良くして比べっこがしたいだけだしな」
というように
「そもそもスポーツなのか?」
「スポーツ界がやろうとしているルールで縛っちゃ面白くなくなっちゃうんじゃねぇの?」
という間で
「スポーツじゃなくてショービジネスだろ」
「いやいやスポーツ全体が駄目だっつってんだからやってない事にしなきゃ駄目だろ」
「いいんだよ俺たちはプロなんだから薬使うぐらいじゃないとお客さんがビックリしないだろ」
「でもプロが薬使ってるんならアマも隠れて使わないとプロになれるわけないじゃないすか」
という方向へ進んでいったのではないかと、あくまで私個人の推察ですが考えます。

しかし「ボディビル」が身体作り行為を指す言葉からスポーツ競技名へと昇華していく過程でスポーツ化していくにつれて、ショービジネスとしてのボディビルコンテストとスポーツとしてのボディビルディングの間に矛盾が生じ、プロ部門はショービジネス、アマチュア部門はスポーツ、というように住み分けが求められるようになったのではないかと考えます。

しかし、プロ部門を作ることで逆に開き直り薬物を使用してモンスター化する行為が、ある種容認されるようになると、アマ部門からプロ部門へ進むためにはプロ部門と同じように薬物を使わなければ到底同じスタートラインには立てないレベルになってしまい、アマ部門も結局トップを目指すためには薬物を使用しなければならなくなったという事かと思います。

 因みに若輩の私が思い返せる記憶を辿れば1988年、私が10歳の時ですがソウルオリンピックの男子100mでベンジョンソンという選手が当時大人気だったカールルイス選手(世界一速い選手の代名詞で日本のバラエティ番組でもカール君というカールルイスを模した人形と競争するという企画が大人気でした)を破って9秒79という当時の常識ではあり得ないような記録で優勝したものの、後日ドーピング検査で陽性となり失格したというニュースがありました。
恐らく世界的に最もショッキングなドーピング事件の一つであると思いますし、これを機に世界中に
「ドーピングはいけない!卑怯だ!」
という考えが広まったのではないかと思います。

当時私はコマンド―という映画を通してアーノルドシュワルツェネッガーを知った頃なのですが、学校でシュワルツェネッガーの話をすると
「あれはドーピングしているんだよ」
という友達や先生もいて、子供心に
「ボディビルダーの世界チャンピオンになるためにドーピングしたのか?」
「映画での見栄えを良くするために仕方なく薬を使ったのか?」
と疑問に思ったことが今も心に残っています。
しかし同時期にテレビにかじりついてプロレスのダイナマイトキッド(引退後にステロイドの使用を告白)を見てカッコいいカッコいいと言っていたわけで夢と現実、ショービジネスと競技スポーツの境目は子供の頃の私にはまだ見極めが出来なかったわけです。

【第一次移行期(仮名)】

私の想像話や思い出話はさて置いて、話をボディビル界とライフタイムナチュラルのところに戻しますが、JBBFが初めてドーピング検査を行った1986年といえば今から38年前で私が8歳の時です。
ということは当時20歳だった選手は、今は58歳です。
オリンピックで最初に検査が行われた1968年は私が生まれる10年前です。
ということは当時20歳だった選手は、今は78歳です。
サッカーと自転車競技の世界選手権で初めて検査が導入された1966年は私が生まれる12年前であり、当時20歳だった選手は、今は80歳です。

当時はインターネットもSNSも無い時代です。
専門誌も少なく非常に限られた情報量の中でボディビルの選手たちは、ただひたすらに理想の肉体を追い求めトレーニングに励んでいたと思われます。

肉体強化や競技力向上のために薬物を使用することが駄目なことなのかについて、議論されたり、話題になっていたとしても、それが世の中の隅々まで伝わっていたかと言えばそうではないと思いますし
「ハイ!来年から禁止ね!検査もするからね!駄目よ薬使っちゃ!」
と言われても世界中の薬を使っていたボディビルダーが
「イエッサー!」
と、ある日ある時、みんな同時に薬をゴミ箱に捨てて注射器を叩き割ったわけではないと思います。

つまりサッカーや自転車競技で検査が実施されるようになり、オリンピックでも検査が実施されるようになった1966年~1968年あたりからJBBFが世界大会で初めて検査を実施した1986年までの18~20年はボディビル界にとっては最初の移行期と呼べるのではないかと考えます。
「あかんあかんって言いながら結局俺らは検査なんかされへんのちゃうん?」
「えっ!マジで?検査すんの?本気やん!」
という段階です。
仮に第一次移行期としましょう。

第一次移行期またはそれより前に選手をしていた人にとっては薬物を使用することは違反ではなかったわけですから、たとえ薬物を使用している人がいたとしてもルール違反をしているという意識はなかったかも知れません。
そしてその場合はルールが出来てからはルールに従い薬物と決別したとしても、これは今我々が理想としているライフタイムナチュラルではありません。
先に記した表現でいうと黒いペンキを入れていた温泉に白いペンキを源泉かけ流しのように注ぎ込んで、黒⇒濃いグレー⇒薄いグレー、と白に近づけようとしたのがルールを守った人という事になります。
しかし残念ながら既に黒が入っていたので完全な白、純白にはなり得ません。
黒が長時間入っていたのなら底の方に黒い層となって沈着しているかも知れません。
純白になれないのならライフタイムナチュラルではありません。
では、この人たちはルール違反者でしょうか?

当時を知らないので全て想像の範囲ではありますが「ボディビルとはそういうもんだ」と思って純粋に、悪い事をしているなどとは全く思わず、今でいうサプリ感覚で薬を入れて効果を得てしまっていた人もいるかと思います。
ルールに違反していたわけではなく、むしろ後からルールが出来たので素直に従って、今まで効果を体感していた?であろう薬物と決別した人たちです。
そしてその「白ペンキ」に切り替える時期は
「いっせーのーで!」
では無いわけですから、この第一次移行期には100%ナチュラルorユーザーではなく
100%ナチュラル・99%ナチュラル・98%ナチュラル・97%ナチュラル・・・・・1%ナチュラル・まだまだユーザー
が混在していても仕方がなかったのではないかと思います。

「えっ!マジで?検査すんの?本気やん!」
「いやいや日本でやる大会だけやろ!あいつ等真面目過ぎんねん!おもん無くなるっちゅうねん!」
「でも検査するってことは一応ボディビルもスポーツってことやんな?」
「じゃぁこれからは薬なしでやる?」
「なんでやねん!抜いてユニバースとかナショナルズで勝てるわけないやん」
「でも建前上ナチュラルってことになってるしな」
「じゃぁお前次から抜いて出ろよ」
「いやいやお前が抜いて出ろよ」
「駄目だよ急に抜いたら身体壊すから徐々にいかないと」
「徐々に抜いてたら何時になったらナチュラルって言えるんだよ」
「いいんだよライフタイムナチュラルじゃなくても、検査で出なければ良いんだから」
こんな感じだった…人もいるのではないかのではないかと想像します。

※繰り返しになりますが、当時も最初っから薬物を使わず身体作りをしていた方が大多数であると思われますので、あくまで国内外のトップレベルの状況を結果と数字から推察した話です。

【第二次移行期(仮名)】

「ボディビルはこれからスポーツ界と同じルールで行きますよ!」
「薬物はルール違反ですよ」
という取り決めが完全に出来てから薬物を使用しているのなら、それは「スポーツのルール」に違反していますので完全に悪い事です。
スポーツマンシップに反する卑怯で最低な行為です。
正々堂々と戦う事の出来ない、スポーツに参加する資格の無い人です。
そう考えると第二次移行期(仮名)はいつからいつでしょうか?

それは実際にボディビル界でも検査が実施されるようになったこの1986年からIFBBがアマチュア部門とプロ部門に分かれた2005年が一つの分岐点と言えるかも知れません。
この2005年に世界アンチ・ドーピング機構(WADA)の規定に準拠した新たな規定を採用し、アマ部門はより競技スポーツ化されるようになり、プロ部門はよりエンターテイメント化?モンスター化?するようになります。
この19年間を第二次移行期と仮に設定してみましょう。
「いやいやもうドーピングテストを1986年以降はやっとるんやから移行は第一次で終わりやないかい」
その通りです。
終わってなければなりません。
しかし終わっていませんよね。

普通のスポーツであれば19年間競技を続けている人など、なかなかいないかも知れません。
しかしボディビル・フィットネス競技であればどうでしょうか?
1986年の時点で20歳だった選手は、2005年は39歳です。
ボディビル・フィットネス競技ならまだ現役で選手を続けていてもおかしくありません。
ボディビルであればむしろ円熟味が出てきて選手としてピークを迎える頃かも知れません。
ちなみにこの年のミスター日本の出場者の平均年齢は37.11歳、ミス日本の出場者の平均年齢は41.12歳です。
1968年の時点で20歳だった選手は、2005年は57歳です。
ボディビルであれば一般の部に出続けていることも可能ですしマスターズでも出場は可能です。

もちろん先に記したように検査が実施されるより前に薬物を使っていたとしても、使っちゃ駄目よというルールが本格的に運用されるようになり、それにしっかり従ったとしたら19年もクリーンなわけですから、源泉かけ流し方式で白ペンキを入れ続けた温泉は、既にほぼ真っ白になってきていると思います。
しかし最初に黒が入っているので残念ながら純白とまではいかないでしょう。
19年前に薬を入れていたアドバンテージもほとんど残っていないかも知れません、むしろ健康被害でマイナスかも知れません。
しかしそれでもライフタイムナチュラルではないです。

因みに2005年はロニーコールマンが8連覇を果たした年です。
誰が見てもわかるようにプロ部門は完全にモンスター化しています。
そして2005年は山岸秀匡選手がIFBBプロデビューした年でもあります。
アマチュア部門のチャンピオンを決める世界大会の総合優勝はデニスウルフでした。
プロ部門とアマチュア部門を分けたと言っても、アマを卒業してプロに行って稼ぐという図式がある以上は絶対に使うな!と言ってもハイ分かりましたと世界中が薬をやめるわけがないですよね。

このように第二次移行期は、ボディビル界でも検査が行われるようになり、「いやいやドーピング検査って、ドラッグありきのプロ部門もやってるくせに笑わすなよ!」という矛盾から、長くグレーゾーンでプロ部門とアマ部門を共同運営していたIFBBがいよいよ、本格的にプロ部門はショービジネス、アマ部門はスポーツですよ、なんやったらオリンピック競技になろうと努力していきますよ、と分離するに至る間の移行期です。
しかし実際には人気があるのはプロ部門であり、世界一のボディビルダーとはプロ部門の頂点であるミスターオリンピアであると誰もが認識しているわけで、プロとアマが分離したとはいえ、完全にドラッグと決別出来たわけではありません。
「ボディビルダーも他のスポーツの選手みたいに尊敬される存在になろうよ!」
という気持ちと
「みんなが見たいのはアスリートに毛が生えたような綺麗な身体じゃねぇよな!ビックリ人間ショーみたいな自然界じゃあり得ねぇ筋肉の塊が見たいんだよな!」
というように理想と現実の狭間で揺れた時代ではないでしょうか?

アマ部門が完全にナチュラル化するには、まだまだ道なかばであり検査が実施される前から選手であった人もまだまだ現役で競技を続けていることが可能な年齢であることから、現実的には全選手にライフタイムナチュラルを求める段階では無かったと考えます。
しかしポリグラフ検査(嘘発見器)と尿検査を併用するなど「完全ナチュラル」での参加を求める団体も台頭してくるなかで、この競技において本当に公平性を求めるならば
「ナチュラル」=「ライフタイムナチュラル」
である必要があると認識され始め、ボディビル業界として求められるナチュラル像「理想像」が確立された時期でもあると考えます。

【現在を第三次移行期(仮名)の終盤と考える】

では、いつになったら移行期は終わるのでしょうか?
源泉かけ流し温泉を純白で統一することを求められるのでしょうか?
私が思うに今がその最終段階なのではないかと思っています。
ここで仮に2005年~2024年現在を第三次移行期と仮定しましょう。

先に記したようにJBBFが初めてドーピング検査を行った1986年に20歳だった選手は、今は58歳です。
オリンピックで最初に検査が行われた1968年に20歳だった選手は、今は78歳です。
サッカーと自転車競技の世界選手権で初めて検査が導入された1966年に20歳だった選手は、今は80歳です。
ボディビル・フィットネス競技は他競技に比べるとマスターズ年代になっても一般の部で競技を続けられる可能性が高い競技です。
近年では若年層のレベルが向上し、男子では20代の選手が上位に進出することも見られるようになりました。

昨年のMr日本の出場者の平均年齢は43.35±12.85歳、決勝進出者の平均は38.42±12.46歳
Ms日本の出場者の平均年齢は51.51±9.18歳、決勝進出者の平均は50.58±9.80歳
日本クラス別選手権の男子の出場者の平均年齢は42.08±11.61歳、決勝進出者の平均は42.27±11.18歳
女子の出場者の平均年齢は52.28±8.61歳、決勝進出者の平均は51.94±7.70歳でした。

平均値から見ても男子の方では、ほぼほぼトップ戦線には1986年以前から選手であった人はいないわけで
「ボディビル競技は薬物を使ったら駄目なんですよ!ちゃんと検査もしてますからね!」
とルール化されてから競技を開始している人が殆どなわけです。
女子を見ると男子に比べると平均年齢が高い傾向にあり1986年以前から何らかの競技をしていた人が、まだ多くいる可能性はありますが、時代背景を考えると女子で38年前からボディビル(女子フィジーク)競技を続けている選手は極々少数であると考えられるため、やはり現在トップ戦線で活躍するほとんどの選手が、全競技に共通したアンチ・ドーピングのルールをボディビル界も本格的に導入した後に競技を開始したと考えられるでしょう。

また、フィットネス競技を見ても
グランドチャンピオンシップスのボディフィットネス出場者の平均年齢は43.20±6.24歳
メンズフィジークの出場者の平均年齢は34.54±8.80歳
ビキニフィットネスの出場者の平均年齢は38.20±8.20歳
とボディビル競技に比べると低年齢です。
1986年以前からボディビルをしていた人がいるとは考えにくいでしょう。

つまり、2024年現在で
「いやいや私がボディビルを始めた頃はみんな当たり前に使ってたんだよ」
「そのあとにアンチ・ドーピングのルールが出来たんで最初の頃は使ってても仕方がないじゃないか」
という人はほとんど残っていないわけです。
最初から白ペンキの温泉です。
であれば全選手に対して「生涯ナチュラル」・純白を求めてよい状況がようやく完成されつつあると言えると思います。

※何度も繰り返し注意書きとして書きますが、1986年以前の選手がみんな使ってたと言っているわけではありません。
国内予選で決勝進出者の33.33%、国際大会で40%の陽性率であったという記録が残っているので可能性が無いわけではないと客観的な事実を示しています。
実際にはほとんどの人が当時もナチュラルであったと思います。

また、IFFBBも2005年にアマ部門とプロ部門を分離させた以降、アマは本部をスペインに、プロはアメリカにと別れ、2017年にはついにプロ部門であったIFBBプロリーグと、アマ部門であったIFBBアマチュアが完全に分裂しIFBBプロリーグとIFBB(エリートプロ)という2つのIFBBが出来てしまいました。
ドラッグありきのIFBBプロリーグがあることが矛盾を生んでいたIFBBにとってはこの分裂はスポーツ化をさらに明確化するための良い機会であったため、アンチ・ドーピングを徹底するとともに審査基準にも単純な筋肉量だけでなくバランスよく発達していることや健康的で美しい身体であることがより強調されるようになりました。
また薬物の副作用が外見からわかるような身体も評価しないようになっていると聞いています。

 例えばクラッシックフィジークという新しいカテゴリーでのバキュームポーズなどは良い例です。
これはステロイド使用者によくみられる内臓肥大をチェックする意味でも行われるポーズで、プロボディビルの世界が薬物に汚染されバルクモンスター化する前は多くの選手が出来ていたポーズだそうです。

また、クラシックボディビルという身長に対する体重制限が設けられているカテゴリーも、
過度な筋発達ではなくバランスのとれた均整美を評価するカテゴリーとして今後は重要視されるでしょう。
このようなクラシックと名の付くカテゴリーが新設され「大きすぎない身体」が評価されるなかで審査基準の「古典回帰」が図られています。
フィジークやビキニフィットネスなどのフィットネス競技においても評価基準で
「腕が太すぎない」
「胸の厚みがありすぎない」
「三角筋が目立ち過ぎない」
など筋肉量があることだけが評価を上げるわけではないことが強調されています。

 このようにIFBBがIFBBプロリーグとの差別化を図る中で
「薬物を使用しなければなれない身体」
「薬物を使うことが有利となる身体」
を評価するのではなく
「ナチュラルだからこそ作れる美しい身体」
「評価される身体を計画的に作りコントロールする力」
を評価する事を強調しています。
これは今までよりも高い審査員の技量が求められ、より「不自然な身体」を選別し身体もポージングも「本物」を見極める力量が求められます。

日本のJBBFは当然JOCやJADAに加盟する中央競技団体ですので、元々WADAのコードに準拠した規定で競技を行い、国際競技連盟連合にも加盟している、IFBB(アマチュア)の方を上位団体としていたので、JBBFとしては何ら方針が変わるものではありませんが、上位団体がより明確にナチュラルへ方針を固めてくれたことはJBBFにとってもプラスであると考えます。
ただし、最初に申し上げた通り他競技と同じく、団体として或いは所属する関係者やアスリート自身が、社会的な役割を果たすための行動規範やモラルが求められます。
ボディビル界で初めてドーピング検査を実施したJBBFだからこそ、この長い移行期を抜けて世界で最初に競技スポーツボディビル・フィットネスとしてのライフタイムナチュラル化を完成させ、世界の競技ボディビル・フィットネスを先頭で引っ張る存在へとならなくてはなりません。
そのためにこの競技団体に関係する一人一人が果たすべき最初の行いが、今回の基本ルール講習会の中のアンチ・ドーピング講習会の受講であり、ただ単に
「この薬摂ったらあかんねんて!めんどくさいわ~」
ではなく、ボディビル・フィットネス界における
「スポーツマンシップに則り正々堂々と戦う」
の本当の意味を、自分の周りの人々に伝え実践することでは無いかと思います。

【まとめ】

 今回は基本ルール講習会の中のアンチ・ドーピング講習会の講師をしながら感じたこと、特に「ナチュラル」という聞こえの良い言葉の意味と、本当のナチュラルを完成させるためには?について考えてみました。
 今年46歳になる私が10歳の時には既にドーピングという行為が、スポーツの世界では反則行為であり、隠れてやるのはズルいことだという認識はありました。
今ではスポーツに関わる人なら誰でも知っていることだと思います。
その一方で、このアンチ・ドーピングというルールが競技種目や国・地域を越えて統一されたルールとなったのは、長いスポーツの歴史から見れば、結構最近のことなのです。

JADAのHPによると1968年グルノーブル冬季オリンピック競技大会、メキシコ夏季オリンピック競技大会からドーピング検査は開始されたものの、当時は統一されたルールは存在しておらず、アンチ・ドーピングのルール違反に対して、競技や国によって異なる制裁が科されたり、禁止される物質も定まっていなかったとされています。
競技種目、国や地域を越えた横断的な協働関係が構築されたのは、1999年に世界アンチ・ドーピング機構(WADA)が設立されてからということです。JADAが設立されたのは2001年ですから、日本国内で、ドーピング検査、教育・啓発活動など、世界標準のアンチ・ドーピング活動を可能とする体制が整備されてから、まだ23年です。
 ボディビル・フィットネス競技としてはJBBFが初めてドーピング検査を実施した1986年から、まだ38年です。
 悲しいことにボディビル・フィットネス競技は他の競技に比べて競技力を構成する要素がシンプルです。
他の競技であればいくら筋肥大させたとてバットにボールが当たらなかったり、ボールを蹴ってもゴールの枠に入らなければ何にもなりませんが、ボディビル・フィットネス競技の場合は筋肉量が多い事だけで、競技力が大きく向上します。

そして筋肉増強を目的とした薬物で得た効果は、数年間の出場停止のペナルティや、何年か選手登録を停止して競技から離れたとしても簡単に失われるようなものではなく、アドバンテージを残した状態でトレーニングを重ねることが出来てしまう競技です。
そのため、一度でも薬物を使用して身体作りをしてしまった人は、何年薬を抜いたとしても本当の意味でのナチュラルとは周りは認めてくれません。
「最近ナチュラル」「今ナチュラル」
「5年ナチュラル」「10年ナチュラル」
「ほとんどナチュラル」
と徐々にナチュラル化していきますが、ライフタイムナチュラルには一生なれないわけです。

しかし一度でも薬物を使用してしまった人は二度とスポーツに参加する権利が無いのかと言えば、そんなことはありません。
どこかで区切りをつけてやり直す機会を与えてあげることも必要なスポーツのルールです。
ボディビル・フィットネス競技の競技力向上効果で見ると、薬効が残っていたとしてもです。

スポーツ界ではドーピング検査をパスすることで今現在クリーンな状態であることを保証します。
ボディビル・フィットネスも同じスポーツのルールを採用するのですからそれに倣うのが良いでしょう。
しかし、ボディビル・フィットネス競技が本当の意味で、公平に行われるためにはライフタイムナチュラルを求めなければなりません。

この世界で
ナチュラル=ライフタイムナチュラル
が完成されるまではあと少しです。
完成されたらナチュラルなんて言葉は使われなくなればいいでしょう。
ナチュラルが普通ですから。
そして完成したなら徹底させるための教育活動が必要です。
1人1人がボディビル・フィットネスの代表だと思って周りの人に良い影響力を持ちましょう。
ナチュラルだなんて当たり前のことを誇る必要はないと思います。
他のスポーツの人はそんな当たり前のことは誇りませんから。
目線をスポーツに合わせましょう。

文:佐名木宗貴


ベスト記録(ノーギア)
スクワット 245kg
ベンチプレス 160kg
デッドリフト 260kg

戦績
パワーリフティング
・全日本教職員パワーリフティング選手権 90kg級 優勝
・2009~2012年 近畿パワーリフティング選手権 4連覇 75・82.5・83・90kg級4階級制覇
・ジャパンクラッシックパワーリフティング選手権大会 83kg級 準優勝
・アジアクラッシックパワーリフティング選手権大会 83kg級 優勝
・東海パワーリフティング選手権大会 93kg級 優勝
・世界クラシックパワーリフティング選手権大会マスターズ1-83kg級 5位
・ジャパンクラシックマスターズパワーリフティング選手権大会83kg級 優勝
・香港国際クラシックパワーリフティング選手権大会マスターズ1 83kg級 優勝
・世界クラシックパワーリフティング選手権大会マスターズ1 93kg級 6位

ボディビルディング
2000~2001年 関東学生ボディビル選手権 2連覇
2000年    全日本学生ボディビル選手権 3位
2011年    日本体重別ボディビル選手権70kg級 3位
2011年    関西体重別ボディビル選手権70kg級 優勝

指導歴
・ZIP スポーツクラブ チーフトレーナー
・正智深谷高校ラグビー部 S&Cコーチ
・埼玉工業大学ラグビー部 S&Cコーチ
・正智深谷高校女子バレーボール部 S&Cコーチ
・正智深谷高校男子バレーボール部 S&Cコーチ
・トヨタ自動車ラグビー部 S&Cコーチ
・関西大学体育会 S&Cコーディネーター
・比叡山高校柔道部トレーニングコーチ

資格
・日本トレーニング指導者協会認定 特別上級トレーニング指導者
・NSCA認定 CSCS
・日本パワーリフティング協会公認2級審判員
・健康学修士

社会活動
・日本ボディビル・フィットネス連盟 アンチ・ドーピング委員
・大阪ボディビル・フィットネス連盟 理事
・関西学生ボディビル連盟 会長

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