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World Classic Championships 2018 Calgary / Canada 参戦記 後編(試合編)

【はじめに】

読者の皆様こんにちは、いつもご覧頂き有難う御座います。

蒸し暑い季節となってまいりましたが皆様いかがお過ごしでしょうか?

今年の夏は例年以上の酷暑が予想されています。

熱中症などには十分気を付けて今月もトレーニングライフを楽しんでいただければと思います。

さて早速ですが今月は先月の続きで大変恐縮ながら、私の参戦記後編とさせていただきます。

前篇を読まないと全く訳が分かりませんので、まずは先月のコラムをお読みいただいてから読み進めてください。

今回のコラムも執筆しているのは6月9日(カルガリーでの試合の翌日)~6月21日(帰国後の10日間程度)ですので皆さんがコラムをご覧になるまでに1ヶ月以上の期間が開いていることをお許しください。

(※実際には7月に入ってから多少の追記や修正は行っています)

【試合当日~検量まで】

前編の最後でも書いたように、体調がおかしいまま当日を迎えます。

時差ボケによるものなのか?高地の影響なのか?単なる試合前の緊張なのか?

分かりませんがとにかく朝が来たので行くしかありません。

体重部屋に行き体重を測ると

82.40㎏でした。しかし日本チームで前日に試合を行った方の中に、この体重計で出た数字をあてにして会場に行ったら300gオーバーしてしまったという方がいたので、実際の体重は82.70㎏だと推定します。

300g程の余裕があると判断し、部屋に戻ってまずは100mlほどの水で錠剤のマルチビタミンを無理やり流し込み、部屋に備え付けの珈琲メーカーを利用して200mlのお湯を沸かし紙コップで日本から持ち込んだ鮭雑炊を作り朝食としました。

あとは出発の時間までストレッチなどをしながらゴロゴロ過ごします。

口が寂しいのと塩分補給の意味も込めてこちらも日本から持ち込んだ烏賊珍味を噛みながら過ごします。

少し身体が硬い気もしたのでバスタブに熱めの湯を張って15分ぐらいお湯につかりながらストレッチをして着替えて最後にもう一度体重を測りに行ったら

82.20㎏。という事は試合会場の体重計なら82.50㎏という事なので、500mlのスポーツドリンクにクレアチンとBCAAを混ぜたものを飲みながらタクシーで試合会場へと向かいます。

今回は身体から異常に水が抜けやすく体調も変なので水分を8ℓ持っていきました。

4ℓはスポーツドリンクにして。もう4ℓはBCAAとクレアチンを混ぜたものを試合中に飲むようにしました。

試合会場に着いたのは検量が始まる1時間以上前でした。

日本チームは初日にシャトルバスが時間通りに来なかったり、試合時間が変わっていることに気づかずバタバタしたりと、時間に纏わるトラブルが発生したこともあり、かなり時間に余裕をもって動くようにしていたため試合会場にはまだ他の国の選手はいませんでした。

ここから1時間はあまり水分を摂らずに、ミネラルの摂取が出来る塩飴や、殆ど重さの無いウエハースタイプのプロテインバー等でエネルギーを補給しながら過ごしました。

検量前になってようやく各国の選手が集まって来て(試合会場の近くのホテルに泊まっている選手は歩いて来れるのでシャトルバスの心配は無い。

日本チームの泊まっているホテルは今回用意された3つのホテルの中で一番会場から遠いホテルだった(涙))、順次コスチュームチェックやセコンドの申請などが行われた。

今回は選手1人に対して2人のセコンドがバックステージに入ることが許可されていた。

私のセコンドは前日に私がセコンドに付いた安倉さんと、同じく前日の試合に出場しM2-74kgのチャンピオンとなっていた三重県のベテラン伊藤選手がついてくださった。

また、同じく前日のM2-59kgで準優勝されていた埼玉の椎木さんも場所取りやプレートの付け外しなど様々な場面でお手伝いいただきました。

この日試合がある日本人は私一人であったため、既に試合を終えている日本人選手の多くがお手伝いや応援に駆けつけて下さり本当に助けられました。

皆様のお陰で世界大会でしか味わえないTEAM JAPANとしての戦いを経験する事が出来、感謝の気持ちでいっぱいです。

コスチュームチェックなどは全て伊藤さんと安倉さんがやって下さったので私は検量部屋(トイレだけど)の前で自分のコンディション管理にだけ集中する事が出来ました。

周りを見渡すとフィンランドの選手が同じ階級とは思えないようなゴツイ身体で「こいつはちょっと次元が違うな…」とこの時点で感じました。

次にアメリカ、カナダ、南アフリカの選手の身体が目立ちます。

他にも実績のあるカザフスタンの選手、ノミネーションでは私と同じぐらいの記録を持っているエジプトの選手も良い身体をしていいます。

その他にドイツから2人の選手が参戦しています。

ノミネーションで上位にいたイランの選手は欠場していたので、この階級は9人で争われることとなりました。

私のロットナンバーは最後だったので検量の順番は最後でした。

検量体重は81.96㎏

ここ数年見たことのない軽い数字です。

少し減りすぎたので急いで会場に持ち込んでいた梅干し入りの御粥パックを4つ胃の中に流し込み、それからアップまでの間にエナジーバーを5本、スポーツドリンクを2ℓ、現地で買ったカフェインが80㎎入っているレッドブルを1本飲みました。

もっと体重を戻したかったのですが、これ以上はスクワットに影響する(吐きそうになる)と判断してここまでにして、少し休んでからウォームアップを開始しました。

【スクワット】

アップ会場は既に日本チームによって1ラックが確保されていました。

本当に有難いです。

私のグループは後半(先にM1-74kgが各種目3試技まで全部終わってからM1-83kgが始まる)だったので少しだけ胃の中の物を消化する余裕がありました。

久々にドッと糖質が入った身体は暑くて仕方がない状態で、汗でニースリーブが履きにくいぐらいでした。

前のグループの人達のウォームアップが一通り終わり、第一試技が始まるちょっと前ぐらいからウォームアップを始めました。

60kg-100kg-140kg-180kg とノーベルト・ニースリーブ無しでやって感触は悪くはありませんでした。

ベルトを締めて200kg をやっても調子は悪く感じませんでした。

しかし最後にニースリーブを着けて210kg をあげた時に若干の違和感を感じました。

軽くあがったのですが何となく直感的に股関節が硬いような気がしました。

直前の出稽古でTXPに行った時と同じような感覚であったため、最終調整で潰れた事やその後に武田さんから頂いたアドバイスが頭を過りました。

今大会は本当にスクワットのしゃがみの深さを厳しく見ている印象でした。

バックステージのモニターを見ると他の選手も第一試技はかなり軽く申請していました。

私もこの時点で「これは世界大会だ、まず生き残る事を最優先しなければならない」と自分に言い聞かせ。

第一試技を225kgから220kgに下げる決断をしました。

第一試技の申請重量はそれでも私がこのグループで3番目に重く、他の選手が堅く第一試技をしゃがんでいき、いよいよ自分の番がやって来ました。

「大丈夫。準備はしてきた。今まで通りやろう」

直前の3回の出稽古(詳しくは先月のコラムをご覧ください)を経て、多少スタンスを狭くして身体を立ててボトムで少し跳ねるようなタイプのフォームに変えようかどうか迷っていたのですが最終的に「今まで通りやろう!十分練習していない事など本番では絶対に出来ない。

自分のスタイルを貫こう」と従来型のワイドスクワットをやろうと決めていました。

第一試技 220kg - ×××

赤3本で失敗。

悪い予感が的中しました。恐らくしゃがみの深さを取られたと思われます。

自分でも「微妙だな。日本だと大丈夫なんだけど…」と思いましたが、やはりこの深さはとってくれませんでした。

記憶が曖昧ではありますが心配した日本チームの方々から色んなコメントを頂いた気がします。

「日本だったら白三本だ」

「あと4cmおろせ」

「嫌がらせをされている」

正しいかどうかは分からりませんが、皆心配してくれていたのだと思います。

しかし大変申し訳ないが3つの赤ランプを見た時からステージ裏の階段を下りるまでの数秒で自分の腹は決まっていました。

「もう一度同じフォームでやってみよう。重くは感じなかった。潰れる事はない。」

練習してきた事をもう一度試そう。そう考えて外部からの情報を遮断して第二試技へ向かいました。

第二試技 220kg - ×××

赤3本で失敗。

これは自分でも力が入ってしまい完全な失敗でした。ステージが少し柔らかく揺れるステージだったのですがボトムまで下ろす途中で少し前にバランスを崩し膝が前に出そうになり早めに切り返してしまいました。

さすがに第二試技の後は誰も何も言って来ませんでしたがステージ裏で同じように第一第二試技を落とした南アフリカの選手と二人で祈るだけでした。

この第二試技での失敗で今度は自分の中で逆側にスイッチが入りました。

「よし!フォームを変えよう」

もうやるしかない。3度の出稽古で少しずつ準備していた少しだけスタンスを狭くして下で跳ねるようなフォームで最後は望む事にしました。

「多少ステージが揺れてバランスを崩しても、転んでも良いから最後まで立とう!」

「時間をかけてモガキまくっても必ず立ってやる」

そう思って第三試技に挑みました。

第三試技 220kg – 〇〇×

白2本で成功。

何とか生き残った。フォームの出来は最悪だったがとにかく白を2本もらえました。

我ながら追い込まれた時の集中力は悪くありませんでした。

色々調整でも苦労したスクワットでしたが、これで一つの答えが出た気がしました。

準備してきたつもりでしたが、まだまだ準備が足りませんでした。

こういう危機的な試合の場面を練習で想定出来ていませんでした。

試合の途中ながら猛烈に反省すると共に、それでも生き残れた事をプラスに考え次に進もうと気持ちを切り替えました。

因みに同じように2本落としていた南アフリカの選手も第三試技で生き残りました。

ステージ裏で2人抱き合って喜びあいました。

敵だけど仲間だった。

【ベンチプレス】

死ぬ気であげたスクワットの第三試技の後、両方の土踏まずと脹脛、太ももの内転筋、さらには

前腕から指にかけてが全部攣ってしまい、ステージ裏で暫く動けなくなりました。

恐らく減量の影響もあると思うが、極度の緊張状態であった事が最も影響していると思われます。

サポートをしてくださっていた椎木さんが塩谷さんから預かっていたアイシング用の瞬間冷却剤を幾つか使わせていただき大いに助かりました。

本当に皆さんに助けられてなんとか試合を続けられました。

いつまた攣るか分からなかったのでベンチプレスのウォームアップは最小限に留める事として、ありったけの塩飴とスポーツドリンクを摂取して気持ちを落ち着かせることを優先しました。

60kg-100kg-120kg-130kgと1~3reps程度のウォームアップにしましたが、普段からベンチプレスは仕事の合間などに短時間で行っていたため特に影響はありませんでした。

なんとかアップ中に身体の痙攣も治まってきたので予定通り140kgからスタートする事にしました。

第一試技 140kg – 〇〇〇

余裕で成功。

ベンチプレスはフィンランドの選手と南アフリカの選手が自信がありそうだったが他はそこまで強くはなさそうだったので、3つ取り切ればまだ順位を挽回できると思いました。

ここは冒険はせずに自分のとれる重量を確実にとって行こうと考えました。

第二試技 145kg ₋ 〇〇〇

余裕で成功。

いつもより軽い。しかし今回の試合までに150kgはあげたことが無かったので「練習していない事はしない。」と考え第三試技も手堅く147.5kgを申請しました。

「この2.5kgで順位が変わることもある」と自分に言い聞かせて、確実に白を3本とるために集中しました。

第三試技 147.5kg ₋ 〇〇〇

問題無く成功。

このベンチプレスでの白9本でかなり落ち着きを取り戻したように思います。

「やってきたことは通用している」という事と「他の奴らも本調子じゃない」と冷静に周りを見る余裕が出てきました。

【デッドリフト】

ベンチプレスを終えた時点で私の順位は6位でした。

1位はアメリカの選手

17.5kg差でフィンランドの選手が2位

2位と2.5kg差で南アフリカの選手が3位

3位と15kg差でカザフスタンの選手が4位

4位と2.5kg差でカナダの選手が5位

5位と5kg差で私が6位

6位と12.5kg差でエジプトの選手が7位

7位と20kg以上離れてドイツの選手が2人8位と9位にいました。

つまり私とアメリカの選手は42.5kg、フィンランドの選手とは25kgの差がついていました。

ノミネーションの数値があまりあてにならない事を考慮しても。

フィンランドの選手はデッドリフトの強い選手だと分かっていましたのでこの2人を目指すのは現実的ではないと思いましたが、3位の南アフリカの選手とは22.5kgの差がついていましたが、この選手はデッドリフトが苦手だと分かっていましたのでひっくり返せるのではないかと思いました。

問題はカナダの選手とカザフの選手がどのぐらい引いてくるのか…

カナダの選手は黒人の長身で手足が長いタイプ。スクワットとベンチは苦手でデッドだけメチャクチャ強いというタイプに見えた。

カザフの選手は有名な選手で2012年にスウェーデンのストックホルムで行われたクラッシックの世界大会では優勝。

2013年にロシアのスズダリで行われた第一回のワールドクラッシックでは2位。

フルギアの世界大会でも2回3位になっている選手です。

実績だけ見ると300近く引いてきても不思議じゃない。

その他の選手もどんな実力者かわからない。

とにかく一つでも順位を上げる事が出来るように他の選手の第一試技もモニターでよく確認しながら試合を進めようと考えました。

またスクワットでも感じたように少しステージが揺れるような感じがしたので、万が一にもミスが無いようにデッドリフトも245kgからスタートする予定でしたが230kgに重量変更して臨みました。

多少バランスを崩しても絶対に落とすことのない重量です。

第一試技 230kg ‐ 〇〇〇

全く問題なし

アップにもならないぐらい軽かったです。特にステージの揺れも感じなかったので、デッドはいけると感じました。

他の選手も第一試技は安全に引いてくるので誰も失敗する気配はありませんでした。

第一試技の申請重量は

フィンランドの選手:280kg

アメリカの選手:240kg

南アフリカの選手:200kg

カザフスタンの選手:247.5kg

カナダの選手:250kg

エジプトの選手:240kg

第一試技は全員危なげなく成功したので

この時点で順位は

1位:フィンランドの選手 672.5kg

2位:アメリカの選手 650kg

3位:カナダの選手・カザフスタンの選手 共に 622.5kg

5位:私 597.5kg

6位:エジプトの選手 595kg

7位:南アフリカの選手 590kg

皆手堅く第一試技を引いたので余力を伺い知る事は難しかったですが、カナダの選手もカザフスタンの選手もかなり余力があるように感じたので、恐らく私がこの2人を追いかけるには自己ベストの260kgかそれ以上のチャレンジを第三試技でやらなければなりません。

感触は悪くなかったのでそこに挑戦することも考えましたが、それよりもエジプトの選手と2.5kg、南アフリカの選手と7.5kgしか差が無い事も気になりました。

もしも上を狙ってビッグチャレンジを試みて失敗してしまったらこの2人に抜かれることも考えられる。

それよりは不本意な記録に終わっても今回は確実に5位をとりに行こうと考えました。

第二試技の申請重量は一旦242.5kgで出して2人の様子を見ました。

エジプトの選手は10kgプラスの250kg、南アフリカの選手は15kgプラスの215kgを申請していました。

つまり私を含めた3人ともが第二試技を成功させても、エジプトの選手には5kgのリード、南アフリカの選手にも5kgのリードを残して第三試技を迎える事が出来ます。

検量体重を確認したら2人とも私よりも体重は軽かった。(パワーリフティングは3種目の合計体重が同じだった場合は体重が軽かった方の勝ちとなる)

もしもこの5kg差をかぶせようと彼らがチャレンジしてきたら迎え撃つだけの余力はあると思いました。

第二試技 242.5kg ‐ 〇〇〇

余裕で成功。

ベルトを少し緩めで巻き、腹圧がしっかりかけられている事を確認して落ち着いてスピーディーに引ききれた。

グリップにも不安はなかった。

最終調整でTXPに行った時の気づきが役に立ちました。

5位争いをする他の2人も第二試技を成功させていました。

差は5kg。

第三試技は250kgで申請しましたが、2人が被せてきたら252.5kgか255kgを申請しなおす準備はしていました。

エジプトの選手の申請重量は257.5kg。つまり私と同じ7.5kgアップなので5kg差は変わらない。

南アフリカの選手は220kgを申請。

5kgアップなので成功させても7.5kgの差が付きます。

ここで恐らく南アフリカの選手は重量変更をしてこないと判断しました。

エジプトの選手はこのままいくと第三試技を行う順番が私のより後なのでチャレンジしてくる可能性はありましたが、チャレンジして失敗してしまうと南アフリカの選手が第三試技を成功させた場合はエジプトの選手が7位に落ちてしまう可能性もあります。

さぁどう出てくるか?

色々考えましたが、私はこのまま250kgでいく事にしました。

これも今回の試合に向けた練習で安定してあがっていたのは250kgまでだからです。

「練習で出来ていない事は試合ではできない」そしてスクワットで×が沢山ついてしまったのでベンチとデッドはパーフェクトで終わらせたい。

という考えもありました。

第三試技 250kg ‐ 〇〇〇

問題無く成功。

若干右のグリップが滑ってしまい薬指の付け根の皮が裂けたような痛みがあったが、気にせず引ききった。

結果、南アフリカの選手は第三試技を失敗し、エジプトの選手もチャレンジはしてきませんでした。

私の初めての世界大会はトータル617.5kg 5位 で終わりました。

記録だけをみると今までで最低なんじゃないかと思うぐらいの低い記録ですが、ここまで他人と戦っている感のある試合は初めてでした。

試合後は表彰式までの間に戦った各国の選手たちと親交を深めました、これが国際大会の一つの醍醐味です。

ホテルの検量部屋で一緒になってから仲良くなった南アフリカのDaniels Marlon選手。

過去にはフルギアの世界選手権で74㎏級6位、世界ベンチではM-1 83kg級で銅メダルをとったことのある実力者です。

パワーリフティングでは種目別の表彰もあり、メダルもしっかりと用意される。

今回の私の記録では

スクワット 6位

ベンチプレス 5位

デッドリフト 6位

なのでトータルと合わせてメダルの獲得は無し。

手ぶらで帰るのはパワーを始めてから初めてのことです。

ちょっと寂しい。

因みに試合の模様はIPF公式YOUTUBEやGOODLIFTという専用サイトでLIVE配信されていたので日本で家族や友人も応援してくれていたようです。

下記のYOUTUBE動画でその模様がご覧になれますので上記の記事を読みながらお楽しみいただければと思います。

今回セコンドを務めて下さった伊藤さんとバックステージでお世話になった椎木さん。

安倉さんにもサブセコンドとしてお世話になったのですが一緒に写真を撮ってなくて…すいません。

皆さん大変お世話になり有難う御座いました。

【試合翌日】

さて試合が終わればリラックスして眠れるのかと思えば、全くそんなことはなく相変わらず1時間毎に目が覚める、本当に体調のおかしいカルガリーでの日々ですが、この日はマスターズの最終日です。

私はM1-120kg超級の塩谷さんのセコンドを務める事になっていますので、いつも通りのコッテリとした朝食をさっとかき込み塩谷さんと共にタクシーで試合会場へ向かいます。

マスターズとはいえM1(40代の部)は一般の部とそう変わらない強者が沢山世界にはいて塩谷さんが戦う最重量級の面々はまさにモンスター軍団でした。

検量前の塩谷さんと昨年のこの大会120kg超級2位のグラントヒガさん。

超有名なプロのストロンゲストマンですが、今年はなんとこの人が代表落ちしたんだとか…

どんなレベルやねん!

この日はM1-93kg級・-105kg級・-120kg級・120kg超級の4階級が予定されており事前の説明では2ヵ所のプラットフォームで前半組と後半組に分かれて種目毎に交代して進めていくという形で試合が進むはずでした。

前半組は-120kg級と-93kgがやって、その後に120kg超級と-105kg級が行うという予定だと説明を受けました。

しかし検量の前ぐらいに役員の方に念のために聞くと-93kg級と-105kg級のエントリーが少ないため(-93㎏級は5人、-105kg級は6人)こちらのグループは両階級合同で進める事になったとの事。つまり1グループ進行です。

そうなると種目間のレストはどうなるのか?と聞いたら「最終試技者の試技終了から次の種目の第一試技者までを20分間レストをとる」との事でした。

-105kg級には竹澤さんが出場するので竹澤さんのセコンドを務める方々と情報の共有をすると共に「もしかしたらコッチ(塩谷さんが試合をする側のプラットフォーム)も急になんか変更があるかも知れんな…」と会場内のアナウンスや役員の説明などをよく聞いておかないといけないと少し警戒心を持ちました。

検量も終わり後半グループである塩谷さんは一旦身体を休めながら前半グループのウォーミングアップが始まっていくのを眺めながら待っていたが、周りを見るとどう見ても120kg超級としか思えない選手もウォーミングアップをしているので、これは変だと思い試合会場のモニター画面を見るとなんと最初の試技者のところにSHIOYA HARUHISAと名前が出ているではないか!?

急いでアップを始める塩谷さん。

役員の方に聞いてみると120kg超級には7名の選手がエントリーしていたが2人の選手が検量に来なかったのでキャンセルとなり、-120kg級の8人と合同で12人のグループで隣のプラットフォーム(-93kg級5人と-105kg級6人の合同)と同様に1グループ回しの種目間レスト20分で行われるという。

「そんなんいつ言うてん?」と思ったが、そんなこと言っていられないので急いで塩谷さんのアップを手伝いました。

何とかアップを最小限で終えて(カルガリーは高地なのでどっちにしろすぐ疲れるのでアップは少な目しか無理だった)スタンバイOK。何とか間に合わせた感じでした。

先にも述べたように塩谷さんの階級はモンスター級が勢揃いで、私も一緒に戦っている感じがするだけでエキサイティングな気持ちになれました。

何故40過ぎたオッサンがこんなに強いのか?というよりなんでこんなにデカいの?

信じられないぐらいみんなデカい。

そしてこんな中に果敢に挑んでいく塩谷さんを含めた日本の重量級選手は本当に凄いと思いました。

そしてこのレベルだと、負けると分かっていても一緒に戦えるだけで光栄な気持ちになるという事も肌で感じる事が出来ました。

日本にいると「重量級じゃ勝てない」「相手にならない」「日本人じゃ無理」などとよく耳にするが、これも参加してみないと分からない事だと思いますが、跳ね返されると分かっていても本気で挑戦することで、少しでも差を縮める事にもモチベーションを感じる事が出来るようになる。

そしてそれを誰かが繰り返さないと我々は永遠に負けっぱなしです。

今後も日本の重量級選手にはカテゴリーを問わず、世界の舞台に挑戦して欲しいと願います。

もしかしたら自分自身は勝つ事が出来ないかも知れない。しかし挑戦し続ければ必ず次の世代に繋がっていきます。

またパワーリフターやボディビルダーが世界に挑戦し続け、いつかその壁を破る事で他の競技にも必ず良い影響を及ぼします。
我々が日本のスポーツ界で大きな役割を果たす事の出来る可能性があると大いに感じました。

塩谷さんはスクワットを2本、ベンチプレスを2本、デッドリフトを1本とりましたが、自己ベストには及ばない記録で5位となりました。
しかし本気で挑戦し続けるその姿は、他国の選手からもリスペクトされ、多くの選手と健闘を称えあい交流を持っていました。
試合が最終日であった事から遠征期間中に多くの選手をサポートしTEAM JAPANの中心選手として活躍してくれました。

因みにこの日は私も少し重量級の選手と交流する事が出来ました。

120kg超級の優勝者(左)と準優勝者(右)優勝者の記録は923.5kg

この身体でダンクシュートしたりするんだとか…凄い身体能力だ‼

-105kg級優勝者のスイスの選手。スイスでは初めてのチャンピオンだとか。

めちゃくちゃナイスガイでした。

今回のマスターズTEAM JAPAN。

私はマスターズ初年度なので当然一番年下でしかも世界大会初参加。

大会期間中は経験豊富な先輩方から本当に多くの事を学ぶ事が出来ました。

皆さん有難う御座いました。

表彰式も終わり周りを見渡すと日本人選手の多くが私服に着替えている…女性陣は皆ドレスアップしている…

そうこの日はマスターズ最終日なので、このまま1時間後には会場近くのホテルでアフターマッチバンケット(さよならパーティーみたいなもので各カテゴリーのベストリフターや国別表彰が行われる)が行われる。

バンケットはジャージで参加して良いと聞いていたのですが、他国の選手は殆どが私服やドレスアップして参加しているのでジャージで参加するのは少し恥ずかしかった。

これも経験を重ねないと分からない事ですね。

バンケットの会場はなんとホテル1階にあるカジノの中。

基本的にギャンブルはしないのですが、これも経験だと思い少しだけ遊んで帰りました。

結果は…内緒です。

【最終日】

もう帰るのか…

6年前にインドに行った時もそうだが、大会期間中は慌ただしくアッと言う間で、帰国日は寂しい気持ちでいっぱいになる。

今回は特に観光も何もしていないし身体も疲れたままでした。
部屋を片付けて荷造りを済ましてこのコラムを書き始めていたら塩谷さんと竹澤さんからホテルのプールで遊んでいるとお誘いのLINEが来たのでオッサン3人でウォータースライダーではしゃぎまくった(笑)

途中で他国の女子選手(ジュニア)がプールに入ってきたが我々を見て帰っていった(涙)

小一時間で健全なオッサン達の遊びは終了し、4日間変わらなかったジャンキー朝食とも別れを告げ

シャトルバスでホテルを後にしました。

シャトルバスの運転手は若い女性で彼女はカナダで唯一のメジャーリーグ球団のトロント・ブルージェイズのファンでした。

私が日本人だというと「以前カワサキという日本人がプレーしていたよ!彼は人気があった!」と言っていました。

世界の色んな所で日本人選手が活躍しているおかげで、我々もこんな15時間も時差があるところでも日本人である事を誇らしく思う事が出来ます。

短い時間だが楽しいドライブになりました。

空港に着いてからも2時間以上フライトまで時間があったので皆お土産を買ったり、試合の話をしたり連絡先を交換したりしながらのんびり過ごしました。

行きは9時間半のフライトだったが帰りは逆風なので11時間かかります。

本当に振り返ってもカルガリーはただただ、だだっ広い田舎でした。

行きの機内食は悪くなかったのですが(減量してたので美味く感じただけかも)帰りは…

とにかく早く日本に帰って美味いものが食いたいと願いながらの11時間でした。

【最後に】

実はこの大会を最後に、現役を引退しようと考えていました。

私は2012年から本格的にパワーリフティングに専念し(それまではボディビルの方がメインだった)ジャパンクラッシックで2位になりアジアクラッシックで優勝する事が出来ました。
記録もどんどん伸びてクラッシックパワーリフティングという新しいジャンルで戦う事が楽しくて仕方ありませんでした。

そして次の目標を2013年のロシア・スズダリで行われる世界クラッシックに定めていたのですが仕事の関係で出場する事が出来ませんでした。

自分が競技者としてピークだった時に世界大会に出場できなかった事は本当に心残りでした。

その後は国際大会などには出場出来ない状況が続き、昨年また仕事場が変わる事で出場できる可能性が出てきました。

5年が経ちちょうどマスターズの年齢になる事から「あの時にやり残した世界大会への挑戦を最後に果たそう!」と思い、昨年の日本クラッシックマスターズへ出場しました。

家族にも職場にも「これで最後だから」と言って準備してきました。

しかし今回の大会に向けた最終調整、特に三度の出稽古(詳しくは先月掲載のコラムをご覧ください)のなかで、まだまだ自分が試していない事がこのパワーリフティングという競技の中に沢山あるように思えてきて、引退する事に迷いが生まれてきていました。

それでもこの世界大会で自分の力を出し切る事が出来たら、もう自分自身で競技を追求していくのは終わりにして、あとは指導者として大学での活動や、このコラムなどを通して普及啓蒙に努めていければ、と思っていました。

しかし自分の首に何もない表彰式を終えて、更に翌日の重量級の迫力に触れて考えが変わりました。

「もう一度この舞台に立ち、次こそは持っている力を出し切る戦いがしたい」

パワーリフティングの国際大会への参加は全て自費です。

当然家族には迷惑が掛かります。仕事も休まなければならないので職場にも大きな迷惑が掛かります。

競技への出場権だけではない、その他の高いハードルを幾つもクリアしなければこの舞台に立つ事は出来ません。

それでも尚多くの日本人選手がこの舞台を目指します。

この舞台にはその価値があるからです。

どんな競技でも同じだと思いますが、世界大会には戦った者にしか分からない素晴らしさが幾つもあります。

それは自分の試合だけではなく日本代表チームとして一緒に戦った仲間との絆も勿論ですし、同じ競技を愛する他国の仲間との交流もそうです。

そして何より日の丸を背負って戦う事には人生観を変える力があります。

そんな訳で仲間達と成田空港で解散する時に今年の9月に北海道の江別で開催されるジャパンクラッシックマスターズで再会する事を約束しました。

それ即ち来年の世界クラッシック(スウェーデン)を目指すという事です。

1年かけて世界で白3つ×9試技で納得のいく記録を残せる実力をつけたいと思います。

最後になりますが、日頃からサポートしていただいているSBD APPAREL JAPAN様

いつも有難う御座います。

またこの大会に出場するにあたり応援してくださった仕事・家庭、日頃の生活にかかわる全ての方々、本当に有難う御座いました。

コラムニストやコラム内容についてのメッセージは下記のアドレスまでお送りください。

コラム用メールアドレス: column@sbdapparel.jp

※どのコラム宛かを明記してください。
※お送りいただいたメールの内容は、コラムで取り上げられる事があります。

■コラム執筆者

佐名木宗貴
ベスト記録(ノーギア)
スクワット 241kg
ベンチプレス 160kg
デッドリフト 260kg

戦跡
パワーリフティング
・全日本教職員パワーリフティング選手権 90kg級 優勝
・2009~2012年 近畿パワーリフティング選手権 4連覇 75・82.5・83・90kg級4階級制覇
・ジャパンクラッシックパワーリフティング選手権大会 83kg級 準優勝
・アジアクラッシックパワーリフティング選手権大会 83kg級 優勝
・東海パワーリフティング選手権大会 93kg級 優勝

ボディビルディング
2000~2001年  関東学生ボディビル選手権 2連覇
2000年     全日本学生ボディビル選手権 3位
2011年     日本体重別ボディビル選手権70kg級 3位
2011年     関西体重別ボディビル選手権70kg級 優勝

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