【はじめに】
読者の皆様、いつもご覧頂き有難う御座います。
SBDコラムニストの佐名木宗貴です。
このコラムが掲載される5月上旬はちょうど元号が平成から令和へと変わっている頃かと思います。
私は昭和53年生まれの今年41歳ですので、昭和に産まれ平成で育った年代と言えます。
前回元号が変った昭和64年、つまり平成元年は小学校4年生の冬だったと思います。
当時はイマイチ何が起きたのか理解出来ない子供ではありましたが新聞やテレビで天皇陛下が崩御され皇位が継承されるニュースが流れ、学校の授業でも皇室制度や元号について学ぶ中で自分でも日本人である事を意識する切っ掛けとなったように思います。
今回は譲位ですので悲しい雰囲気ではなく上皇となられる今上天皇陛下と皇后陛下への感謝を胸に、新しい日本のスタートとして皆で祝い活気づく令和元年となるよう祈念いたします。
【ご報告】
それでは今月も本題に入る前に大変恐縮ながら御報告をさせていただきます。
4月7日(日)に大阪府堺市にて行われました、大阪府パワーリフティング選手権に関西大学S&Cから私を含め5名の選手が参戦いたしましたのでこの場をお借りしてご紹介させていただきます。
女子Jr63kg級:重田真由選手
まず最初は関西大学アメリカンフットボール部の新3回生で学生S&Cを務める重田選手です。
実は私が以前関西大学に勤めていた時にはアメリカンフットボール部のOB(チームを引退した後の4回生が卒業前の冬に挑戦したり、引退後も5回生として残っている学生コーチが挑戦していた)が私と一緒にパワーの大会やベンチの大会に挑戦するという事はよくあったのですが(TEAM佐名木道場)
今回は初の現役女子部員が挑戦です。関西大学のアメリカンフットボール部では選手以外にも分析やトレーナーなど様々な形で選手をサポートする学生スタッフがいます。重田選手はその中でも主にウエイトトレーニングの管理やコンディショニングを担当してくれています。
今回はエントリー締め切りギリギリに「一度パワーの試合に出てみないか?」と誘ってみたところ「やるしかないですね」とその場で選手登録をしてしまったノリの良い選手ですが、実際にはパワーリフティングが何なのかも知らない状態でしたのでYouTubeで大会動画を見ながらルールを教え何とか試合が出来る状態にもって行きました。
SQ:50㎏〇-60kg〇-65kg〇
BP:25kg〇-30kg〇-32.5kg×
DL:60kg〇-70kg〇-80kg〇
TOTAL:175kg
9本中8本をとるという勝負強さを見せJr63kg級優勝とオマケに「はや賞」という協賛企業からの賞「焼肉のはやの御食事券」まで頂いて「楽しかった!」と喜んでくれていました。
試合後は「選手の気持ちが分かりました」とコメントをくれてS&Cスタッフとしても成長する機会となったようです。
この経験を日々の活動に活かしてくれればと思います。
男子Jr66kg級:安積祐貴
次にこちらも初となる硬式テニス部からの挑戦者です。
昨年の4回生で、全日本大学対抗テニス王座決定戦で3位となった硬式テニス部で選手兼トレーナーとして活躍してくれていた安積選手が「4年間頑張ってきた筋トレの成果を何か形に残したい」とパワーリフティングに参戦してくれました。
SQ:130kg〇-145kg×-145kg×
BP:80kg〇-90kg〇-95kg〇
DL:130kg〇-135kg〇-140kg〇
TOTAL:365kg
比較的に早い段階で大阪パワー参戦を明言し、しっかりと準備をしてきたお陰で、初出場とは思えない安定した試技を見せてくれました。
残念ながら練習では成功していたスクワット145kgで潰れてしまい予定したところまで記録を伸ばす事は出来ませんでしたが、立派な数字を残してくれました。
通常テニスなどの片方の手や足で道具を使う競技の選手は筋力の左右差も大きくバーベルを扱っても動作に左右差が見えるものですが安積選手の場合は殆ど左右差が無く、しっかりと補強でウエイトトレーニングを積んできた事が分かります。
また今回スクワットを1本しか取れなかったのですが、その後しっかりと気持ちを建て直しベンチとデッドをパーフェクトで終えました。
テニスもメンタルの駆け引きが勝敗に大きくかかわるスポーツですが、パワーリフティングの試合でも自分自身の気持ちのブレを修正しながら戦うといううえでは似た要素があります。他競技から学ぶことは大きかったのではないでしょうか?
彼も試合後に「楽しかった!また出てみたい」と言ってくれて早くも次の近畿パワーへ向けた準備を始めています。
今年からは専門学校へ通いながら関大テニス部でもコーチをし、尚且つ地元のテニスクラブでもジュニアの育成などに携わっています。
競技力の向上は勿論の事、障害の予防のためにもウエイトトレーニングや専門性の高いコンディショニングも指導できる安積コーチに今後も期待します。
男子Jr74kg級:宮森駿
続いて3人目も初出場です。昨年関西大学学生S&Cに入部し
先輩若林
と共にアメリカンフットボール部のサポートを行ってくれている学生S&Cコーチ2回生です。
若林の影響を強く受け入部当初からパワーリフティング出場を意識したトレーニングを開始し今回満を持しての出場となりました。
SQ:130kg〇-145kg〇-155kg×
BP:70kg〇-90kg〇-105kg〇
DL:185kg〇-200kg〇-210kg×
TOTAL:450kg
ベンチでベストを叩き出すもののスクワットとデッドの第三を落とし目標としていた昨年師匠若林がデビュー戦で記録した462.5kgには及びませんでした。
彼のバックグラウンドは野球。
股関節が柔らかく背筋力の強い選手で「エブリデッドか?」と思うほどジムで見かけるといつもデッドリフトをやっています。大阪パワー後はベンチプレスに目覚め、同期のベンチプレッサー宮本
に教わりながらフォームの習得に挑んでいます。
彼も既に7月の近畿パワーへの参戦を表明しているので次こそは師匠を超える記録に期待しています。
男子一般74kg級:福住昌也
もう大阪ではお馴染みになった福住選手は関大ウエイトリフティング部のOBです。
元々はスクワットが強い選手でしたが最近はベンチも強くなって3種目のバランスが良くなりました。
SQ:200kg〇-215kg〇-225kg〇
BP:140kg〇-150kg〇-155kg×
DL:200kg〇-225kg〇-237.5kg〇
TOTAL:612.5kg
彼の試技を見た人は分かると思いますが所謂パワーリフティングのルールを意識したフォームの工夫など一切無く、普通にしゃがんで立って、普通に寝て押して、普通に引いて立つだけのナチュラルリフターです。
ニースリーブも最近ようやく付け始め、リストラップはいまだに持っていない。ベルトも普通に市販されているゴールドジムのベルトで、つけ忘れていても記録は大して変わりません。
「工夫すればもっと強くなるのに…」誰もがそう思うのですが、効率的にやろうなどという考えは彼には無く、ただ単純に力の勝負がしたいだけなのです。
次の近畿パワーでも己のスタイルを貫き今年も国体出場を決めてくれることでしょう。
男子一般93kg級(オープン参加):佐名木宗貴
さてさてそれではようやく私自身の大阪パワーを振り返りたいと思います。
まず結果ですが
SQ:220kg〇-230kg〇-235kg×
BP:135kg〇-140kg〇-142.5kg〇
DL:245kg〇-255kg〇-260kg〇
TOTAL:632.5kg
というわけで数字的にはそこまで悪くはなかったのですが、この試合というかこの試合に至る準備の段階で色々と考える事があり、また試合後にも色々考えさせられた収穫の多い試合でした。
【大阪パワーへ向けたトレーニング】
まず大阪パワーまでの準備を振り返るにあたり2月のジャパンクラッシック(以後JCPと略す)を振り返らねばなりません。
2月末掲載のコラム
でもご報告させていただいた通り、JCPでは体重の調整が遅れ、試合当日のパフォーマンスも思うように発揮できず、記録も625kgと低調なものとなってしまいました。
また本格的にパワーリフティング競技に復帰して1年半が経過し自分なりに本気でトレーニングを続けてきたものの肩の怪我もあり全盛期の力を取り戻すには至らないもどかしさを感じていました。
「これが年齢というものなのか」と諦めたくなる気持ちと「いやいや俺より年上でまだ一般の部でチャンピオンになってる人もいるんだから諦めずに頑張らないと」と前向きな気持ちとが交錯し「何かを変えなきゃいけない」と思い悩みながら過ごしていました。
JCPで収穫があったとすればベンチプレスで150kgがあがったぐらいなのですが、そのベンチプレスの第三試技で152.5kgに挑戦した際に再び肩を痛めてしまい2月中は痛くてベンチプレスは出来ませんでした。
そんな状態でしたので思い切って6月の世界クラッシックまでの強化種目をスクワットに絞ってその途中に中間テスト的に大阪パワーが来るように考え、スモロフプログラム※1(本家)を採用しました。
重量設定は一旦大阪パワーで235kgが第三試技でとれるようと考え設定しました。
ベンチプレスは一旦3月上旬に肩の痛みが引いたので重量を戻そうと週に2回の頻度で5×5のトレーニングを行っていたのですが途中でまた痛みが出てきたので、無理をしてスクワットの担ぎも出来なくなるとせっかく始めたスモロフが無駄になってしまうと思い、ベンチはトレーニングを中断しフォームの研究だけを行いました。
12月の上旬頃からグリップを狭くして縦に流すフォームを取り入れていたので、今度は縦に流す動きはキープしつつグリップを広くしてストロークを短くして肩への負担を減らそうと考えました。
もうこれで駄目なら打つ手がないと思っていたのですが、ギリギリ140kgぐらいなら押せそうだったので試合の1週間前にこのフォームで行く事に決めました。
最後にデッドリフトですが、実は殆どトレーニングしませんでした。
これもお尻やハムストリングスの疲労がスクワットのスモロフに影響しないようにと考慮したものですが、それ以上に3月に入ってせっかく再開できたベンチプレスに影響を与える事を恐れたからです。
【デッドとベンチは相性が悪い】
この僅か1年ぐらいの間に何度も何度もベンチで肩を痛めているわけですが、勿論私のフォームや練習方法が悪いせいもあるのでしょうが、それ以上に他種目との組み合わせ方がマズかったのではないかと思います。
特にデッドリフトの疲労が残っている状態でベンチプレスを行ってしまうと背中や腰の柔軟性が低下しているため普段よりもブリッヂがしっかり組めていないままベンチを行うので知らず知らずのうちに肩に負担がかかりサイクルが深まっていくと怪我をしてしまいます。
また逆にベンチプレスが好調で高頻度でトレーニングが出来て大胸筋に張りが残った状態でデッドを追い込むとデッドの最中に大胸筋が攣ってしまうなど相性が良くありません。
この2つの理由から今回は敢えてデッドリフトをやらないという選択肢をとりました。
デッドリフトを行ったのはスクワットの重量が軽かった最初の週に1回と試合の1週間前にスタート重量の確認のための1回だけです。
私は三種目の中でデッドリフトが一番好きなので苦渋の決断でしたが「試合までデッドリフトがやりたい気持ちを貯めておく」と考え我慢しました。
【体重問題とオープン参加という決断】
他の2種目を減らしてでもスクワットを優先した結果、大阪パワーの2週間前に210kg 3reps 10setsという山場を無事に越えてスクワットは順調に仕上がっていきました。
ここからは疲労を抜きながら体重を調整する予定でしたが、スクワットの調子が上がれば上がるほど自分の中で「こんなに調子が良いのに何で減量して台無しにしなきゃいけないんだろう?」と疑問が浮かぶようになりました。
思えばこの1年半の間に何度も試合のために減量をしたり、次の減量がきつくならないようにと普段から食事を節制していたので「これじゃぁ自分が強くなろうとしているのを自分でストップをかけているようなもんじゃないか?」と自問するようになりました。
そして「今回は何が何でも83kg以下にするような無理はせずに前日から出来る範囲で体重を落とす努力はするけど1日頑張って落ちなければオープンで出場しよう」と考えていました。
言い換えれば「試合のパフォーマンスに影響が出ない範囲の調整で83kgを切れないならば試合でのパフォーマンスを優先して83kg級で出る必要はない。」(極力近づける事は必要)という事です。
勿論世界クラッシックには83kg級でエントリーしていたので、その予行演習として83kg以下に体重を落とせるのかテストする事も重要ですが、無理をしてせっかくのトレーニングの成果を見る事が出来ない(昨年度の試合でもスクワットで3回も攣ってしまっている)のでは本末転倒です。
というわけで今回は試合前日の朝までは普通に過ごして、前日のお昼から水分と食事をカットする程度で当日の朝を迎えました。
当日の朝の体重は84.2kg
ここから本来ならば1.2kgの水分を絞り出そうと必死にサウナスーツを着て歩いたりするところなのですが、今回は暖かい格好でうろうろする程度で体力を消耗するような事はせずに検量までを過ごしました。
そして検量体重は83.65kgでオーバーでした。
係の方に「まだ時間あるけどどうする?」と聞かれましたが迷わず「いえ再検量はしませんのでオープン参加でお願いします」と断わり、試合のために朝食をとりました。
ただこの試合は国体予選も兼ねていましたので「なんでちゃんと調整して来ないの!」と叱っていただいた方もおられ大変申し訳ない気持ちではいましたが、実は国体の時期は仕事が忙しいので出場出来る見込みが元々薄いのであまり重要視していなかったのです。
ただ「国体に出られなくなっちゃうよ!」っとご心配いただいた方々には本当に申し訳御座いませんでした。
【久々に元気に試合をしてみて】
その後の試合結果は最初に書いた通りですが、狙っていたスクワットの235kgがあがらず余計に「次は完全な状態(全く減量をしないという意味)でやりたい」という気持ちが湧きあがりました。
ベンチプレスは逆に「これだけ練習しなくても最低限142.5kgは押せるんや」という自信と「無理にベンチを伸ばそうと頑張ってまた肩を痛めて他にも影響するぐらいならベンチはこのぐらいをキープしとったらええか」と思い、頻度の少ないトレーニング計画を立てる事としました。
そしてデッドリフトですが、こちらが一番びっくりで。2012年の秋の近畿パワーで引いて以来成功させていなかった260kgを6年半ぶりに成功させる事が出来ました。
これについてはいくつかの要因が考えられますが、スクワットを強化する事で臀部やハムストリングスが鍛えられ、腹圧のコントロールも上手くなったことでデッドリフトも改善出来たのではないかと考えます。
また強化種目をスクワット一本に絞った事で腰背部の疲労が減り腰痛の心配が無くなったというのも大きいと思います。
ただ、さすがにデッドリフト自体を殆どやっていないのでグリップは弱くなってしまっていて更に掌のマメが小さくなってしまっていたのでこちらは他の方法で強化していかなければならないと思っています。
【世界クラッシックへ向けて】
大阪パワーを終えた翌日にJPAの国際委員会へ連絡し世界クラッシックでの階級を83kg級から93kg級へ変更したいとの希望を伝えました。
本来ならば昨年12月のジャパンクラッシックマスターズでの93kg級の優勝~3位まで選手が優先権を持つ階級ですし、原則的には予選に出場した階級以外での国際大会参加権は与えられないのですが
選手団結成後に階級変更が生じる場合は選手団団長の判断で変更する事が可能となります。
勿論同じ階級に予選の優勝者やフォーミュラーが私よりも高い選手がいるのであれば、そちらが優先となるのですが今回はM-1-93kgには日本からは誰もエントリーしていなかったので大丈夫なのではないかと思っています。
今まで83kg級に拘って試合に出場してきたのには色々と理由があって、ここで全て書き出すのが難しいぐらいですが、一番大きいのはやはり健康の面と見た目の部分で「これ以上太ったらあかん」という意識があったのと、2012年にアジア大会で優勝した階級で尚且つ2013年に仕事で出られなかった世界クラッシックがあったからだと思います。「この階級で国際大会に出るんだ」という拘りがありました。
勿論このまま83kg級で記録を伸ばそうと頑張る事も良い事だと思いますが、今の自分が置かれている状況の中で残りの競技生活で何か新しいチャレンジが出来るかと考えた時に93kg級にチャレンジして、試合で自分の持てる力を全て出し切るという事も最後に「やり切った」というためには必要な事なのではないかと考え拘りを捨てる覚悟をしました。
83kg級は私に沢山の思い出をくれました。
3度の国際大会はどれも素晴らしい思い出で、日本記録もアジア記録も、マスターズ優勝も全部83kg級です。
そんな楽しかった83kg級は平成と共に幕を下ろし
新しい令和は93kg級で新たな自分をスタートさせます。
順調に階級変更が認められれば次の試合は6月7日(金)12時~です。恐らく日本時間では19時頃かと思います。応援宜しくお願いいたします。
※1スモロフ・プログラム
ロシア人スポーツ専門家、セルゲイ・スモロフが考案した、特にスクワットの使用重量を伸ばすのに効果的なプログラム。
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※どのコラム宛かを明記してください。
※お送りいただいたメールの内容は、コラムで取り上げられる事があります。
■コラム執筆者
佐名木宗貴
ベスト記録(ノーギア)
スクワット 245kg
ベンチプレス 160kg
デッドリフト 260kg
戦跡
パワーリフティング
・全日本教職員パワーリフティング選手権 90kg級 優勝
・2009~2012年 近畿パワーリフティング選手権 4連覇 75・82.5・83・90kg級4階級制覇
・一般男子83㎏級スクワット日本記録樹立
・ジャパンクラッシクパワーリフティング選手権大会 83kg級 準優勝
・アジアクラッシクパワーリフティング選手権大会 83kg級 優勝
・東海パワーリフティング選手権大会 93kg級 優勝
・2018年世界クラッシクパワーリフティング選手権大会 マスターズⅠ83㎏級 5位
・2018年日本クラシックマスターズ83㎏優勝
・2018年香港国際クラッシクインヴィテーショナル大会 マスターズⅠ83㎏級 優勝
・マスターズⅠ83㎏級スクワットアジア記録樹立
・2019年世界クラシックマスターズ93㎏6位
ボディビルディング
2000~2001年 関東学生ボディビル選手権 2連覇
2000年 全日本学生ボディビル選手権 3位
2011年 日本体重別ボディビル選手権70kg級 3位
2011年 関西体重別ボディビル選手権70kg級 優勝